インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

good morning N°5『赤裸裸』 観劇感想

2022年11月5日、ザ・スズナリにてgood morning N°5『赤裸裸』を観劇。

以前ストリップ学園を観劇したときから、ずっと見てみたいと思っていたgood morning N°5の演劇を見られた〜!!!

興奮した時に鳴らす用のクラッカーが2個ずつ配られてて、でも割と早い段階で2個とも鳴らしちゃって、そこから先は楽しかったら拍手した。客席みんなそれぞれ鳴らすところが違うから劇中ずっと火薬の匂いが漂ってて、こんな演劇通ってたら他人の興奮の匂いを覚えちゃって大変そうだなと思った。火薬の匂いと興奮が紐づくのはちょっと嫌なパブロフだな。でもマジで楽しかった!

開場して客席ついたら前説みたいなのが始まってて、キャストの皆さん勢ぞろいで澤田育子さんがずーっといつ呼吸してんのかわからないくらい喋り倒してて面白かった。

場面転換が早くて暗転するたびに世界とか人とか次元とか命がどんどん入れ替わって目まぐるしかった。劇中、嘘をついたことがない人間はいますか?って問いかけられる。目の前の劇を見ながら脳みその裏側でグルグル考えてて、嘘をつく事と真実のみで正直に生きる事、0か100かみたいな極論ってあんまり意味ないよなと思ってた。最低限の社会通念や倫理観として自分と他人を偽ることはあまり良くないという認識が、ある程度の安全な社会を作ってるからそこは必要で、でも誰もが故意でも故意でなくとも嘘はついて生きてるよなと思う。目の前ではほぼ裸みたいな肉体がギュウギュウひしめき合ってて、汗とか熱気とか唾液とか飛び交ってて、訳わかんないのに脳みそはずっと何かを考えさせられてて、めちゃくちゃ疲れるし面白かった。

嘘をついたことがない人間はいますか?と問われるからじゃあ本当のことだけで生きていける人間はいるのか?と考えてしまいそうになるけど、そうじゃないんだよな。この物語にアイとマコトといういつの間にか血の繋がらない姉妹になっちゃうキャラクターが出てくる。嘘と本当の対比をしたいんじゃなくて、愛と真実の対比を考えさせたいんだなと。

藤田記子さんの赤ペン先生マルチ商法の教祖かと思って見てたら実は総理の妻で、その身に纏ったドレスの赤紙を一枚一枚剥いでは金と引き換えに悩んでる人に渡して、その赤い台本で救われる人達によって自分を保っていて、丸裸になるまで赤紙を渡しきったらまた赤紙を乞うて、娘を手放した罪悪感からなのか金ならあるだろうに体を張って金に固執して、目の前にある演劇のノリはコメディなのにめちゃくちゃ悲劇でクラクラした。自分で娘を捨てたのにそれに耐えきれないんだ。でも別に償いもしない。

物語として悪い人が酷い目に合うとスッキリするみたいなのよくあるけど、この作品は悪い人を懲らしめて見てる人を気持ちよくさせようみたいなのがなくて面白い。まあ子供を自分が育てられなくて他の育てられる人に育ててもらう事は悪いことでもない、もう分別ある年の子供に了承も取らずにいなくなって別家族といつの間にか家族にさせられてたのは確実に悪いけど。

ラサール石井さんの正直すぎる総理大臣、本当に役としての本音なんだろうけど弱者を守る気サラサラなくて普通に開き直ってる感じが今の日本の状況と同じで笑った(笑えない)。貧乏人にはずっと慎ましく貧乏で苦しんでてもらわないとと思ってて、周囲を馬鹿にしてて、差別や冷笑仕草や論破(笑)が周りからは謎に「他の人が言えないような"本音"や"真理"を言ってくれる!」と愛されて持ち上げられて人気者になる感じ、ひろゆきとかそういうのっぽかった。まあ寂しい人ではあるんだけど。4Dシート買った人たちが投票で支持・不支持の札を上げるんだけど、私の入った5日昼は圧倒的支持で絶望的〜!って笑っちゃった。この世界の日本もこうやって投票でここに居ることにされた人達もみんなこの人に殺されるじゃんて。いや、貧乏人やマイノリティに遠回り(でもないか?)に死ねと言うような総理を下北の小劇場の客席で眺めて笑ってる人達はまあまあ恵まれてる側だから、だからこそ余計に皮肉なんだよな。4900円のチケット代に4Dシート代2000円を当日その場で払って投票権を得た人たちも中にいる訳だしね。

自分の娘になら10年引きこもってても「ただ生きててくれればいい」なんて言えるけど、それも裕福な自分の娘だし捨ててきた場所でも一応死なない程度に育てられるだろうと思って置いてきてて、別に今まできちんと生死も確かめたこと無いだろうにそんなふざけた事をいい父親ヅラで言えちゃうのめちゃくちゃ滑稽だった。ラサールさんの凄くリアリティのある総理めちゃくちゃ良いキャラだ。

何事にも正直すぎて真摯すぎて頑固すぎてしまう総理の娘のマコトがミズシマ(仮)の告白から10年真剣に考えて考えて考えすぎてひきこもって、10年後にミズシマを結局振って自分の主張をぶつけまくってたの、その後揶揄されるような展開が若干ムカつく程度には悪くないと思った、むしろもっとやれと思った。めちゃくちゃ空気読めない奴扱いされてても、空気読めっていう同調圧力のがムカつくし。実際にこんな人が自分の近くにいたら苦労するだろうし、空気を読むことをものすごく大きな是とする日本社会とか人間付き合いの中では迷惑がられるだろうけど、自分の本当に思ってることとか大事なこととか納得を曲げてまで他人に合わせてたら死んじゃうから。まあ一方通行でコミュニケーションではないから、相手の考えも同じだけぶつけられたって文句言えないんだけど。ミズシマの言う呼応とか共鳴とか共感とか、必要だし欲しいのもわかるんだけど、でも安易で上辺だけの危うい共感への嫌悪もある。

最後の最後に、マコトが父親に対してめちゃくちゃ大きな嘘をついてみたのは驚いた。変わっちゃうんだな。わかんないけど。もしかしたらあのバズーカは巨大クラッカーじゃなくてちゃんと本物で、死んだ総理の夢だとか走馬灯だとかでクラッカーだったよう思い込んでるだけかも知れないけど。個人的な好みの問題だけど、ゲンジが復讐のために総理を殺したよりもその方がいいな〜と思っちゃった。

台本の中では嘘をついてもいいし、眼の前に肉体があって現実に起こっていても同じだけ虚構だ。娘が父親に復讐したかもしれないし、アイが"ただ生きててくれれば良い"っていう総理の言葉を嘘か本当かは別として愛だとか優しさだと思って血の繫がらない姉に聞かせたから、アイの優しさでマコトが変わったのかも知れない。

鳥越裕貴さんお噂はかねがねで、生では初めて見たんだけど(多分、鹿殺しの作品に出てたのを配信で見たことがある気がする)すげー役者だった。作品がめちゃくちゃ生々しいし表題通りに赤裸裸で、小劇場じゃなきゃできないような内容や作りなんだけど、求められるままに生々しく熱く色んなもので濡れて光ってて良かった。ヒカルとゲンジがテレパシーで交信してんのも、キュウリでポッキーゲームしてんのも、座頭市で殺陣しながら歌ってんのも、場面転換で何回も生まれ変わったヒカル(主に機械)と巡り合ってやっぱり交信してんのも、全部意味がわかんないのに圧倒されちゃって謎の凄みで余計に面白かった。

「こう言う」ことを求められてるって理解しながら言う「こう言う」ことって自分の言葉や感情なのかわかんなくなる。読まされた空気は世界や社会の潤滑油かもしれないけど、自分の空気じゃなくて酸欠するかも。だから私は空気読めないフリして本音を言っちゃうことある。でも相手もそれをフリだって気づいないとは限らなくて、全然気づいてて気づかないフリしてくれてるのかも知れない。自分が嘘をつかないために相手に嘘をつかせてるかも知れない。でも嘘をつくのもつかないのも自分が納得してなきゃできない。気づかないうちについてた嘘なら気づいた瞬間に改めればいいし、改めないなら自分の意志だ。でもそう思えない人もいるよな、と目の前の芝居からドンドンずれた思考が止まらなかった。あらかじめついていい嘘としての台本が与えられたなら救われる人が居るのもわからなくはないかも、でも総理が言うようにその台本は自分で書いたほうがいい。それは総理が言った"自分で書いたらタダ"だからじゃなくて(だってタダじゃない、自分の時間や労力をかけてる)自分が書いた台本に従ったなら納得のできる嘘をつけるし、納得いかなかったら諦めもつくし、諦められなかったら何回でも書き直したらいいから。

ものすごいハチャメチャでノリは体を張ったギャグっぽいのに、色々考えて感想書いてたらあんまりギャグっぽくない感想になっちゃった。笑ってんのに、笑わされてるのに、笑い事じゃないじゃんってなるのが居心地悪くて、全然理解とは遠いのに、勝手にいろいろ考えちゃって面白かった!good morning N°5の演劇に初めて触れられて楽しかった〜!!!