インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

One on One 35th note『side-by-side』観劇感想

2024年2月14日、赤坂RED/THEATREにて、One on One 35th note『side-by-side』を観劇。

笑って笑って少し泣きそうになってまた笑って、最高に楽しかった〜!浅井さんX(旧Twitter)でコメディ苦手だった話してたけどって嘘だよ、コムロ探偵事務所シリーズいつも楽しくてあったかくて大好き!
コメディって根底に悲しみとか苦しみがあって、それをヤケクソでも火事場の馬鹿力でもなんでも良いから、どうにかこうにかぶっ飛ばしてやる反撃の可笑しみのことを言うんだなあって、コムロ探偵事務所シリーズを見てるとそう思う。ただ誰かを論って笑うのはコメディじゃないから。

シリーズ第三段、背中合わせのback-to-back、向かい合わせのface-to-faceに続く、デコボコな横並びのside-by-side。自称脳と心のお医者さんでカメラアイの持ち主アケチと、製薬会社の研究員で転落事故によって記憶喪失になったオオバヤシが加わってのドタバタコメディ。今回もまたミュージカルの楽しさ満点で最高だった!閉塞感すらある小さい箱で、生演奏で歌って踊ってって本当に贅沢な時間だなあと思う。
今作だけ見てても楽しいと思うけど、過去二作に登場してきたハトムラ坊っちゃんとアンドウアイリの気配がそこかしこにあって何だかウルっと来てしまった。アサガリクの最新作にカネダイチさんにモリヤマさん、ここに居なくてもここに居るのがうれしかった。

今回のテーマソングが本当に大好きで元気が出る。
隣を見なくてもいるのはわかる デコボコな横並び 仲良しなんて期待しない やるときゃやるただそれだけ ピンチはチャンス?冗談じゃない ピンチはピンチ チャンスはチャンス 災い転じても災いは災い 大逆転を起こせるか?ただそれだけ
マジレスソングなんだけど、ヤケクソでもなんでも絶対にひっくり返してやるっていう強さに励まされる。

小説家とワトソン君の二足のわらじを履きながら、やりたいようにやりたい放題やってるワダの良い意味(悪い意味かも?)でのふてぶてしさがドンドン増していて頼もしいし楽しい。一作目からすると本当に様変わりしてる気がする。
隣を肩を並べて歩きたいわけじゃないけど、コムロ先生が行く道をついて行ってたまに並んだり、後ろから背中をどついたりしたいんですよねと話すように、以前よりずっとコムロ先生との関係がフラットになったんだろうなと思う。偏屈で照れ屋で言いたいことを素直に言えないコムロ先生とは逆に、言いたいことズケズケ言うしな(笑)

オオバヤシの依頼で黒幕にギャフンと言わせる!と意気込んだ作戦、最初はうまく行っているように見えたけど、被害者に矢面に立たせる作戦は嫌だな〜と思ってたら失敗というか、結局オオバヤシ本人を無理に矢面に立たせることなく終わってよかった、強行突破したらうまく行ったとしてもモヤモヤしただろうから。

作戦失敗で険悪になるコムロ探偵事務所。かつてのコムロは誰にも期待しないから不器用なのに何でも一人で出来るって不機嫌で意固地になってたが、今は相手に期待するからこそキツく当たってしまうとワダは受け取っていて、それは甘えだよなあと思った。コムロ先生は他人に期待して相手に甘えられるようになったんだ。
依存先を増やすことが自立って言葉があるよなと思い出した。ダンマリ決め込んだり過度にキツく当たる言動はもう少し改めなくちゃだけど(ワダやグレコやマエクラがきっちり指摘するから何とかバランスが取れてる)、誰もがいろんな人や物に助けてもらうことを肯定しながら生きるのが社会性だよなあ。「ここに居たら甘えてしまうから」と言うオオバヤシに、ワダが「甘えたら駄目なのかな」って返す台詞でもすごく感じた。
そしてコムロも「戦いに挑むとき誰かが隣りにいるのは心強い」ってオオバヤシに叫んでいて、コムロがオオバヤシを保護したり気遣ったり手助けしたのは、自分も同じ苦しみを味わって同じ相手に復讐したかったからっていう打算的な部分もあるんだけど、連帯をしたかったのもあるんだよな。同じ痛みを克服するために、一緒に戦えたら心強いって。

最終的に、アンドウアイリからの何気ない絵葉書が事件の突破口になるの、愛だな〜って気持ちになった。背中合わせでありたい人に裏切られた同士、シンパシーで繋がった背中合わせのふたり。作り手の愛だし役者への愛だしずっと見てきた客への愛だった。ワダから日々の小さな依頼を取るに足らないと思わず大事にしろと、アンドウアイリから地道な調査こそが探偵の本分だと示されて、抜け目のないコムロ先生が数多の小さな情報を最大限利用しての大逆転!おもしろかった〜。
アケチがコムロの弟だったのも最後まで分からなくて事務所の面々と一緒にえ〜っ!?てなった。オオバヤシが花粉の話になると超絶ハイテンション早口になるのもグレコの髪型をパピラだ〜!ってキラキラし出すのもおもしろかった。

コムロ探偵事務所シリーズ、始まった時はシリーズ物というわけではなかったのに第三段になっても面白さがドンドン増してくる。本当に面白くて元気が出るから、これからも続編やスピンオフとか作ってほしい。
その上で、毎回グレコの扱いがモテから外れた女disをウケ狙いで入れてるみたいな作りなのが嫌だなと思う。コムロ探偵事務所の人達ってみんな"良い性格"してて清廉潔白でもないしどっちかといえば悪役テイストだと思うけど、みんな自分の納得が一番で生きてて他人の勝手なジャッジとかクソだと思ってそうなのに、どう考えても他人軸のモテみたいな価値観で横並びの相手を笑ってんのは楽しくない。
あとここで書くことでもないかもだけど、浅井さんがX(旧Twitter)で今作の裏話的な素敵なエピソードをたくさん話してくれて楽しいんだけど、画像につけるALTは音声読み上げ機能を使用する人のためのもので隠しコンテンツとかではないから、本来の用途で使ってほしいと思った。素敵な内容だからこそ隠さないで書いて欲しいし、画像につけるALTを適切にしたら誰もがフラットに楽しめるわけだから。

One on One 35th note『side-by-side』フライヤーの写真。青いドアの前に主要キャラクターたちが横並びになっている。

 

good morning N°5『失うものなどなにもない 』観劇感想

2023年12月20日、小劇場B1にてgood morning N°5『失うものなどなにもない 』を観劇。

前作の赤裸裸が面白かったので次も絶対見ようと思って楽しみにしてたんだけど、今作も面白かった〜!!!人間の感情ってめちゃくちゃ勝手でクソみたいなんだけど、その身勝手さは自分だけのものなんだよな。他人には理解できないし、それをあげられもしない。

good morning N°5の舞台なので、開演前に澤田さんが練り歩きながら、観劇中に話してもいいし拍手してもいいしクラッカー鳴らしてもいいし歌ってもいいし奇声を上げてもいいし電話に出てもいいし出てってもいいし自由に観劇していいよってお話していて、始まる前から客席がすでにワイワイして笑ったりリラックスしたりしていて楽しかった。

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十二月大歌舞伎 第三部『天守物語』観劇感想

2023年12月4日、歌舞伎座にて十二月大歌舞伎第三部の猩々と天守物語を観劇!

以前NHK平成中村座の特集番組をやっていて、その時に玉様が演出をされて七之助さんが富姫を初役で演じるという天守物語を見た。その時からずっと天守物語を生で見てみたかった。

 

第三部は『猩々』も『天守物語』もどちらも人あらざる存在と人間との交流を描いた幻想的な作品で、続けて見ていて楽しくどっぷりとその世界観に浸れて最高だった。猩々の気品と愛嬌、富姫や亀姫のゾッとする魔性と無邪気さと生死観、序盤の人間中心主義への冷淡な眼差しが良かった!

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『Dancing☆Starプリキュア』The Stage 観劇感想

2023年11月1日、品川プリンスホテル ステラボールにて『Dancing☆Starプリキュア』The Stage を観劇。マチソワしました!

ぼくプリ評判がめちゃくちゃ良さそうだったから、見る前にソワレのチケットを増やしてマチソワにしてたんだけど過去の自分の判断GJすぎた。あまりにも良すぎてチケット増やして良かった……ほさかようが作るプリキュア面白くないはずがないよ〜!!! 

私はプリキュア世代ど真ん中ではないのでギリギリ初代と5を見てたくらい。でも初代の肉弾戦なキュアブラックキュアホワイトはすごく印象深い存在。今は女の子に限らずプリキュアがいるけど当初少女たちのための作品だったからこそ、舞台版のプリキュアが"男子"プリキュアとして有徴化して発表されたけど、観劇したプリキュアファンに「プリキュアプリキュアたらしめるものは何なのか」と考えさせ、晴れやかに彼らはたしかにプリキュアだったと語らせるような舞台、めちゃくちゃ面白そうすぎて期待に胸を躍らせて見に来たわけです。

東宝アニメーションの鷲尾天さんのコメントだと「男性だけで『これはプリキュアだ』と言える作品」は作れるのか?っていう挑戦の作品っぽかったんだけど、実際に見てみると"男子"プリキュアとしての有徴化をしようという意図はまるで感じなくて、"男なのに"みたいな無駄な葛藤がなくて良かった。

あんまり良くない言い方だけど、男しかいない環境だとちゃんと男同士でケアし合うんだよなあって思うし、嫉妬や羨望や優越感の入り交じる陰湿でドロドロして重たいウェットな感情を向け合う親友関係ってのが真正面から描かれたりするから面白いし、TAISEIくん平松來馬くんの熱演本当に良かった!ウルウル来てしまった。

序盤のキュアトップの変身バンク中だったかな、闇陣営のイビルダンサーも光陣営のステラダンサーも同じリズムで同じ振り付けで踊りだすシーンがあったけど、それって最後の戦闘シーンへの布石で、なるほど美しいなあと思った。絶望を味わった者は、特に大人は、容易に立ち直れないし新たな夢なんて見れないけど、プリキュアが闇のリズムの中でも踊って見せたのが、イビルダンサーたちがプリキュアのダンスに惹かれて踊りだすのが、それが結果として光のリズムに変わっていくことが、楽がキュアトップの姿で語ったみんなを笑顔にする夢の、みんなが本当にみんなだって事を描き出してる。味方も敵もみんなに笑顔になってほしいって。

室井先生がすごく良いキャラクターだった。伊藤裕一さんのベテランの凄み、なにか喋る事に空気が変わるのがすごい。本当の平等・本当の公平、正しいように見せかけた極論で子どもたちを誘導する悪い大人。なんだけどそれによって楽と颯斗の意見が食い違って、物事は本来多面的であるってことがよくわかるし、軍隊のように同じ動きのダンスを否定してフリーなダンスが良いとした彼らに、"型にはまらない自由さ"と"みんなで一緒に力を合わせること"は矛盾するのでは?と突きつける。型にはまらない自由さが引き立つには一定のスキルだったり整然さもまた必要で、単に抑揚のない無秩序な自由さが魅力的に見えるのか?ってのは当然あるし、室井先生は表現者として大先輩だからこそ、自分の楽しさや気持ちよさや表現したいこと見せたいことと、実際に見てる人からはどう見えるのかバランスってのを本当はよく分かってるんだろうな。

即興で踊る課題に対して予め組んでたルーティーンで踊ることもフリーで踊ることも否定しないし、一人で踊ることも仲間と踊ることも否定しない所がすごく良かったんだけど、ダンスバトルを否定する発言もどこかでフォローが入るといいなあと思った。楽しいダンスだけが正しい訳じゃないし、ダンスバトルの激しさや緊張感やぶつかり合いこそが自己表現できる場であり楽しいって子だっているはずで、舞人くんだってそうだったかもしれないじゃん。

蛍と充の病室での闇落ちシーンにメタファーを感じてしまって、日本初演のナイツ・テイルで、エミーリアとフラヴィーナが花畑でふたりシーツをかぶって笑ってるシーンがメタファーじゃん!だったのと同じと言うか。闇のシーンか光のシーンかの違いだけで同種のメタファーだと思った。

森田桐矢くん演じる月宮爽々奈先輩、相手が自分に魅了されるのをわかっているコントロールされた言動と、それを突き破って出てくる特別な人にしか見せない内側のコントラストがなかなか罪深いキャラクターだなあ。人間は当然多面的なんだけど、柔和で明るくリーダーシップもある人気者の人物像を自己演出している自覚も月宮先輩にはきっとありそうだと感じたし、だからこそ天弦先輩の前ではその鎧が少しほころびるというか仮面が脱げてしまう、荷をおろせる瞬間があることに少し安心する。でもあなただけにはここまでさらけ出している、ということがあんまり天弦先輩には伝わってなさそうにも見えた。普段の言動や戦いを見てると愛の戦士(黄色で愛の戦士だと個人的にセーラーヴィーナスになってしまうけど)だな〜。ソウルダンスはゴスペルをルーツの解放のためのダンス、つまりは差別や抑圧からの解放で、様々なダンスを網羅したうえでそこに惹かれるっていうキャラクターだから、もしかしたら心の中に誰にも明かしていないクローゼットがあるのかもなとも感じた。

寺坂頼我くん演じる天弦晃雅先輩、実家の神社との関係があまり良好じゃなさそうだったり、実家のしきたりで巫女さん姿で舞ったりしてたらしい話から考えると、普段の怒鳴ったりしかめっ面したり厳しい言動や"男らしい"振る舞いって、あえてそう振る舞ってる感じにも見えてきてしまう。キュアカグラ変身後の口上は柔和で高めな声色で表情もにこやかなんだけど、それは変身による普段の振る舞いからの解放なのか、過去の刷り込みの表出なのかはまだわからないけど。なんか抑圧的というか、自罰が強いキャラクターだなと思う。一般人の充がイビルダンサーによって事故で怪我した時に、キュアブレイクに対して「お前がひとりで突っ走るから」って言ってしまうのも、自分に厳しくて許せないことが多いから他人にも厳しくて許せなくなりがちなのかなと。
天弦先輩のキュアカグラと舞人くんのキュアブレイク、写真で見るとそうでもないんだけど生で見るとカラーリングがかなり共通しててなるほど!となった。

小辻庵くん演じる黒瀬舞人くん、ツンツンして素直じゃないのに押しに弱くて可愛すぎた……。しかし経緯が重くてびっくり。イビルダンサーとの戦いのなか自分のせいで無関係の同級生に重い怪我を負わせた、しかもダンス部で実力を認めている(プリキュアとしての実力も同様にってことだよな)天弦先輩からもそう言われて、プリキュアも部活も辞めてたなんて。
ここで楽のまっすぐさ、裏のなさ、相手の心の内を知らず知らずのうちに見通して、そのまま素直に口にしちゃう所に、舞人くん以上に見てる方が救われてしまう。舞人くん曰くバカが移った颯斗もまた、楽のまっすぐさに救われてるから、苦しみの中で一人になるより一緒に乗っかってみようよ?って潤滑剤になってくれる。舞人くん自身が自分のせいだと思ってるから、ダンスが上手くなることが強くなることが贖いになってしまいそうだったけど、楽と颯斗がダンスは本来楽しくて疲れてても何故だが心と身体が動いてしまうものなんだって引き戻してくれる。楽の天真爛漫な強引さが良いほうには働いた。この後輩トリオ可愛すぎる〜!

滝澤諒くん演じる夏目颯斗くん、闇落ちも早ければ復活も早かったのでよかった。中学時代にダンスの天才って言われてたけど、隣に自分とは違う感性でダンスをものすごく楽しんでいる眩しい存在が居続けたら、しかもその存在は自分の悩みも知らず無邪気に自分を天才だと言いながら、自分には持ち得ない光り輝く個性を見せ続けてくる、自信喪失も鬱憤も蓄積されたものだよなあ。情熱と冷静のロックダンス、穏やかで冷静で優しくて、でも本当は激情もある。自由に不自由さを感じてしまう凡庸な自分を好きになれなくて、自由を自由として享受できる楽が眩しくて仕方がなくて、自分のことが好きじゃないから夢が見られなくて。でも颯斗から眩しく見えてる楽にとっての原点は颯斗のダンスなんだから案外そんなもんなんだよな。自分は相手の光を眩しく受け取るばかりだと思っても、実は相手もそう思ってたりする。

田村升吾くん演じる星河楽くん、楽って実はあまり掘り下げられてないなあと思うんだけど、人との関わりの中で屈託のないキャラクター性が見えてくる。プリキュアになる経緯も特別な何かがあるわけじゃなかったけど、つまりどんな相手にも手を差し伸べるそういう素朴で稀有な心が資質なのかもしれない。心に影を落としてる人に直感的になのか無意識になのか、光をわけあたえていくキャラクターなんだろうなあと。颯斗も舞人くんも月宮先輩も室井先生も蛍も充も、その強引な光に触れて自分を少し許していくように見えた。
昼公演の最後、カーテンコールの挨拶で客席に小さなお子さんを見つけたキュアトップが、お〜い!って手を振って「いつかプリキュアになろうな!一緒に!」ってニカッて笑いながら言うの、本物のプリキュアすぎて最高に良かった。そこにいたのは田村升吾じゃなくてキュアトップだった、最高。

そして和合真一さん演じるパドドゥ、最後まで見て、この人に演じさせるんだからそりゃ何かあるよなあと納得。軽快に笑いを提供してくる可愛い妖精さん、ラストの落差に楽しくなってしまった。パドドゥってパートナーと二人で踊るバレエのことだから、今何らかの理由でここにいないパートナーを取り戻す(生き返らせるのかな)ために暗躍してるわけで。効率よく希望を集めるために絶望を増やす、回収のためにプリキュアを増やす。この暗躍っぷり、パートナーがここに居ないことの絶望がよほど大きいからだろうし、皮肉になっちゃうかもしれないけど、室井先生のよりももっと大きく眩いハートビートジュエルを生み出せるのはパドドゥ自身ってことにもなりそう。

2回しか見れなかったから確実じゃないのと夢を壊す発言だけど、一番最初のキュアトップの変身バンク中の楽をやってたのって高橋陸人くんだよね?あの変身バンクめちゃくちゃ良かった〜夢があって楽しかった。高橋陸人くんはテニミュ4thでは菊丸の分身になるしプリキュアではキュアトップの分身になるしヒーローすぎるぜ、最後ステラダンサーのみなさんがそれぞれ得意のダンスを披露してくださる所で何やらかっこいい大技決めてて思わずFoooo!!!って言っちゃった。

プリキュア有識者の方のぼくプリ感想面白いんだけど、皆様はプリキュアプリキュアたる所以ってどういうところだと思う?プリキュアど真ん中世代じゃなくて初代と5を見てたくらいの私の、ぼくプリを見た印象としては、祈りを馬鹿にしないってことかなあと。祈ること願うことの力を信じてるってこと。誰かが祈りを信じられなくなったら、プリキュアが全力で信じてくれる。信じてもいいって思わせてくれる。そう思えない自分のことをそれでもあなたに生きていてほしい、それでもあなたに笑ってほしいと祈りをくれる人がプリキュアなんだなあって、今作を見ててそう思った。たとえその時その祈りが届かなくても。
キュアトップみたいな純粋に夢や希望を信じてるキャラクターが室井先生みたいに絶望の中で苦しむ人に祈る行為って結構グロテスクだし余計に追い詰める事にもなりうるんだけど、だからこそキュアトップのヒロイズムとしてじゃなく楽のエゴイズムとしての祈りにきちんと見えたのが良かったな、人と人だった。

"少女"という枕詞なしに少女たちが戦士であることがスタンダードと広く浸透した「プリキュア」って言葉はすごいなと思う。私はセーラームーン世代なので特にそう思うのかも。セラムン(特に原作)はどちらかと言うと男女の役割反転、少女は戦う使命があり、戦いに向いてない男は治癒や精神感応や祈りで後方支援したり家で子供を守る役割、お姫様の成長を促すため王子様が拐われたり洗脳されたり殺されたりする(いわゆる冷蔵庫の女の反転)。そういう逆転構造を描くことがカウンターとして作用する時代だっただろうし、セーラー戦士の中には性別二元論に収まらない両性具有的だったりジェンダーフルイドやクィアな存在もいたけど"男"は正義の戦士にはなれなかった。その世の中へのカウンターとしてのセーラー戦士の姿に私は救われていた。
世の中いまだに何に対しても男がスタンダードであることが多いから(manは人であり男である的に)女流〇〇だとか女〇〇だとか、"女優"だとかつけられがちなわけで、でもプリキュアでは少女がスタンダードだから男であるほうがこれまでは例外だった。でも例外を切り捨てて排除するのはプリキュアではないんだ。

もう大人になった私にもかつてのヒーローが信じても良い未来を見せてくれるって最高だし、そうしてくれるのなら、もう大人の自分がその誠意を返していくには、現実の世界で今生きてる子どもたちの未来が少しでも信じて良いものになるように頑張らないといけないよなあって思う。祈りの力を信じていられるように。

ぼくプリは絶対シリーズ化すると思ってるけど(絶対してくれ)、第一作目がこのクオリティだと次回作の期待のハードルもめちゃくちゃ上がるよ〜!シンプルに中身がすっごく良い舞台だし、昼公演から夜公演でまたさらに客席の熱も演者の熱も上がってて楽しかった。

 

最遊記歌劇伝外伝 観劇感想

2023年10月8日、品川プリンスホテルステラボールにて最遊記歌劇伝外伝を観劇。

Twitter(現X)やfedibirdで感想をつらつら書いてたらちょっと長くなったのでとりあえずひとまとめにしとこう、という覚書の感想文。歌詞についても言及したかったけどそこまでできず。外伝用の新テーマソングの歌詞めちゃくちゃ良かったので配信でも見る予定。

最遊記歌劇伝外伝、今までの歌劇伝の象徴的テーマソングGo to the WESTから変えて外伝用に新曲をテーマソングに据えたのが本当に嬉しかった!そこ保守的になってたらつまらなくなったと思うし、新曲がすごくハマってたし、だからこそ最後の場面が長年見てきたファンにとってぐっと来るものになったと思う。「生きるために生きる」って歌詞はまさに外伝らしさのある言葉だった。15年もの長い間鈴木拡樹くんと椎名鯛造くんのふたりだけはキャスト変更せずに最遊記歌劇伝をラストまでやってくれたのは本当に奇跡だし執念だし愛情だと思ってるし、ラストを飾る公演が最高で幸せだった。

原作でもそうだけど後半は敖潤がキーパーソンで、佐奈ちゃんの敖潤のキャラ解釈と表現に新しい気付きをもらえて嬉しかった。二幕からは敖潤が物語る記憶と記録だと思うと、あの感極まったような歌や感情の発露って、4人に関わることでただ存在しただけ「生きて」いなかった敖潤の命が今産声を上げたってことなんだろうな。登場人物として客観視された敖潤は感情の起伏を見せないキャラに見えてたけど、己の心のまま語り部として物語る敖潤は本当はあんなふうに豊かな感情の波を持っていたのかもしれない。原作読んでる時点では思いもよらなかった気づきが舞台にはあって本当に面白い。

舞台ではこうなるのか!でいうと、天蓬と捲簾のシーンが本当に良かった。原作では捲簾と天蓬のふたりの死に様がそれぞれ順番に個々に死闘を描かれてるけど、歌劇伝では死闘のはじまりは個々に描き、最後ふたりの死に様は同時に描いた。

舞台化にあたり四巻分を一公演にまとめる上での時間短縮と、原作時系列をどう読み解くかの歌劇伝なりの一つの答えと、天蓬が死の間際に何を思ってたかの具現化が全部同時に叶ってて最高だった!これは漫画では表現が難しいし、たしかOVAでもこんな演出はしなかった。舞台ならではの形で描き出したものが本当に素晴らしくて涙がボロボロ出てきた。

天蓬の戦闘シーンは原作でもゾットする感じで、本当に日常の延長のようなひとりごとを考えながら敵を次々と殺していく。死の間際も捲簾にタバコの火を借りて吸ってるのを夢想していて、それこそが天蓬にとって生きてるなあって思う瞬間だったからで。

真っ暗闇の中、死の直前に捲簾を思っている天蓬のひとりごとが聞こえる中で、捲簾が哪吒になり損ないのキメラに咀嚼されている音が響いてるシーンが本当にすごく良くて、こうやってふたりが同時に死ぬ表現が実現したのは最遊記歌劇伝があったからだなあと、すごく嬉しかった。

捲簾が言う「またな」は死に別れるとわかってて言ってたし、天蓬もそれをわかってた。外界の桜の下で会おう、が叶わない約束だって。天蓬が金蝉と悟空に同じ「またな」を渡したように。全部わかっててそれでも天蓬は、本当に「またな」を捲簾と天蓬のままで叶えたかったんだなあって。天界から亡命して、もう別の命になった悟浄と八戒としてじゃなくて、もう会えない自分たちを少しだけ愛しんで死んでいったんだって。ここのふっきーさんの演技が良すぎてボロボロになった。

カーテンコールで天蓬の白衣の裾が悟空にガバーって足元から頭までひっくり返されて、前が見えない状態になってヨロヨロしてたら、捲簾が正面に立って天蓬の頭から白衣の裾をめくってあげてて、擬似的なウエディングベールか?ってなった。同時に死んだし似たようなもんか。

鈴木拡樹くんが本当に見事に金蝉だったんだよなあ。あれだけ長年玄奘三蔵を演じてきて、それを全く感じさせない金蟬童子だった。金蝉は悟空に諦めるなと生きろを言ってあげられて、玄奘は悟空にもしもの時は殺してやると言ってあげられる、明確に違うだけどどちらも悟空の唯一無二の太陽。

鯛様の斉天大聖覚醒シーンが本当にすごい、すさまじい。外伝の幼い悟空の無邪気さ天真爛漫さも、斉天大聖の残酷な殺戮シーンをそこに出現させる身体能力も、本当にすごい。

きたむーの哪吒が本当に最高すぎる……哪吒がそこにいるだけで涙腺がバカになったよ、楽しいシーンやギャグシーンも全部ウルウルしてしまう。

山﨑さんの李塔天が本当に良くて、元々好きな役者さんだし期待もめちゃくちゃしてて、見ながらずっと本物すぎる!!!って思ってた〜ギャグもシリアスもお手の物な役者さんじゃなきゃ歌劇伝は務まらないのでありがたすぎた。うじすけさんの二郎神もホント最高……すべてのキャストが最高。

歌劇伝見終わってオタクたちが退場しながら口々に感想が飛び交ってて、本当に最高だしリピーターチケット買いたいけどこれを何度も見る体力気力がないって感想はほんとそれになった。外伝内容が重いし(原作と同じノリでギャグパートもあるが)1回でもかなり消耗する。素晴らしい出来だからこそね。

最遊記歌劇伝のラストを飾る今公演、まず外伝全4巻分のストーリーの再構築と、今まで長年愛されてきたメインテーマ曲を外伝用にきちんと一新した攻めの姿勢があったうえで、一番最後に今までの歌劇伝の公演を思い起こさせる、始まりへと帰る演出を入れてくれたこと、本当に大満足だった。

惰性はつまらないよ、革新がなきゃ続かないし、いつだって新しくて真摯で面白いもの見たい。Darknessの時とか楽曲も演出も異聞に引きずられすぎ、本編と異聞は違うだろ!って思ったりしたし、毎度好みが分かれるアレを何だこの茶番はって怒ったりもしてたけど、歌劇伝たのしかったな〜!歌劇伝が私の期待に応えてくれてうれしかった。長い間、最遊記の物語をすてきに描き出してくれて本当にありがとう。幸せだった。

 

劇団ホチキス『明後日のガラパゴス』観劇感想

2023年10月6日、新国立劇場小劇場にて、劇団ホチキス『明後日のガラパゴス』を観劇!ネタバレあんまりしてないけど、配慮してないのでこれから見る方は読まないほうが良いかも。

笑いすぎて疲れた〜!ホチキスらしい外連味と小気味いいテンポ感と全力で舞台を楽しんでる熱量とほっこりする大団円、大満足でした!!!

今回のホチキスは山﨑雅志さん声のみの出演なんだけど、そりゃそうよね、いま最遊記歌劇伝外伝に出てますので。今月見たい舞台が被りすぎてて、ホチキス見て新テニミュ見て最遊記歌劇伝見てっていう怒涛のスケジュールになってしまった。2日後には歌劇伝の山﨑さんを見てきます。

今回のホチキス、ゲストの前川優希くんと赤澤燈くんが王道をちょっと外してくる感じのキャラ作り(第二のキャラ含め)で面白かった〜。ホチキスって毎回味付けがコテコテなんだけど(それが良いしそれを見に行ってる)二人がいい味になってて楽しかった。あと加藤良輔さんは完全にホチキス劇団員側でめちゃくちゃ笑った。第二のキャラの時の若本規夫さんの声真似がうますぎた。溶け込みすぎてて最高。

 

公式HPよりあらすじ(https://hotchkiss.jp/galapagos/

30年以上も続いているTVアニメ「アサッテさん」の脚本チー ムに抜擢された若き脚本家礒崎新。ベテラン脚本家たちに揉 まれながらも、昔から「アサッテさん」の大ファンだった礒崎 は、幸せを噛み締めていた。しかし、昨今は視聴率が右肩下が り。しかも、アニメのスポンサーが降りるという噂もあっ て・・・。果たして「アサッテさん」は、進化して生き残れる のか、それとも絶滅してしまうのか!? 劇団ホチキスがこの秋お届けする、脚本家革命コメディー「明後日のガラパゴス」にご期待ください!!

アサッテさんはまあサザエさんをもじってるわけなんだけど、その脚本チームは悪い意味でガラパゴス化している。大御所のパワハラと理にかなってない古いルールがまかり通り、若手は入ってもすぐ辞めてしまってわずかなベテランしかいない。プロデューサーは典型的イエスマンでただ従うだけ。そんな中でも磯崎はニコニコ楽しそうに仕事をしている。同期の伊東はこの旧時代的な職場に革命を起こそうとしていて、磯崎を誘うも、磯崎はこの状況にあまり問題を感じておらず……。

ホチキスが描くのですごく楽しいドタバタコメディなんだけど、途中まで権力によるハラスメントを否定しない、肯定するようにも見えるな〜とモヤモヤしてた。最後は一応の否定もあり、トップを追い出さずとも権力の勾配による支配がなくなればいい風が吹いてくるっていうラストだったので少し安心した。

マンネリと安心感って割と近いところにあるように見えるし、長く続くものって伝統だとかって言われたりするんだけど、じゃあ伝統って何も変えないで同じものを作り続けてるのか?というと実はそうでもないんだろうと思っていて。個人的に、新しい視点のものだったり現在の価値観だったりチャレンジングなものが、絶えず革新があって、それでも残ったものが結果的に長く続くものになるんじゃないかなと思ったりしてる。まあ単純に私が飽きっぽいからそう思うのかもしれないけど。

ここ数年、中国のアニメにハマっていくつか見てるんだけど、社会問題への批判とエンタメ性の共存が当たり前に両立してるのって中国アニメだと普通っぽくてうらやましい。すっごい面白くてアニメーションや音楽の質も高くてエンタメとしてグイグイ魅せてくる中で、普通に現代社会への批判が織り込まれてる。オリジナルアニメーションがたくさん生まれる環境だからそれこそなのかもしれない。

最近エンタメ見ていても合わないものが増えてきて、このノイズがなければいいのにって思うことが多いんだけど、見ている側が余計な思考のノイズに悩まされずに楽しめるのは制作側がその分を考えていてくれるからだと思う。何でもかんでも変わることが良いとは思わないけど、変えないことに固執して価値観が古くなったままだったり、楽しめる人の幅を狭める表現になってるのに気がつかず魅力が半減してたりするのは、もったいないし悲しい。

正直ホチキスの作品にも結構ステレオタイプだったり家族主義っぽかったり古い価値観だなと思ってしまう時もあるんだけど、これからも楽しくて面白い作品を作って欲しい。ホチキスの劇団員の皆様の外連味たっぷりな身体表現が大好きでいつもたくさん笑わせてもらってるので、変わっていくことや新しいことも楽しんでまた作品を生み出してほしい。

 

テニミュ4th六角公演(緑山公演)が今まで見たことのなかったテニミュがてんこ盛りで最高!!!

 テニミュ4th六角公演、今まで見たことのなかったテニミュがてんこ盛りで最高!!!なので感想を残しておく!!!東京公演を5公演見た時点での超絶ハッピーな感情を忘れないための備忘録的な感想文です。思い出したり凱旋公演見たらちょっと追記するかも。毎度ながらとりとめなくて読みづらい。

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