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私の内包物をつれづれと

キンキーブーツ2022 観劇感想

2022年10月22日、東急シアターオーブにてキンキーブーツを観劇。
キンキーブーツ、城田優のローラ最高だった〜!前回の2019年版と変わった部分と変わらなかった部分で齟齬が生まれてて色々思うところはあるが、楽曲の力と客席全体からあふれる拍手の楽しさはキンキーブーツ見た〜!って感じで楽しかった。

城田ローラ、デカくて華麗で優雅でパワフルで愛嬌があって、ステージに立つと絢爛の華があって、でも内側には傷ついた小さな子どもがいて、愛を乞いたいから与えようとするみたいな訴えかける歌声の説得力が素晴らしくて、とても好きだなと思った。
小池徹平のチャーリーはホント安定の優柔不断で自分本意なクソ野郎で、よくここまでムカつく野郎を演じられるよなあと今回も感心した。すごい。
被害者意識ばかりが肥大化して自分が加害してしまってることに気がつけない男性像ってのは、その根本にある本当の被害者だった自分を自分で認めないと、自分の行いが他人を、大切な人をどうしょうもなく傷つけてることに気がつけない。それはドンもそう。
こうあるべきだと周囲からも自分からも押し込められること、当たり前と思い込んだステレオタイプ、男らしさとか女らしさとかそういうものから解放されるには、自分がしがらみの中にいる事を知らないといけない。ローラがドンに願った「ありのままの他人を受け入れろ」というのは、他人からもそうしてほしい自分を、ありのままの自分を認める事にも繋がる。
キンキーブーツ見てると共感による繋がりってのはめちゃくちゃ脆いよな〜というのを感じる。父親からの愛情という名の呪縛に苦しめられその呪いから抜け出せない子供という共通点、その共感で繋がれたチャーリーとローラは最初から危うかったんだ。そこからもう一歩先に進めたのは運が良かった。ローラがチャーリーに助けてもらったと、光がさしたように感じた瞬間の事をとても大切にしていたから、チャーリーはギリギリでローラの優しさに助けられてローラの中の友人としての配役を失わずに済んだ。
親の望む姿であれない自分を自覚したとき、それが自分の努力じゃどうにもならないとき、うるせ〜!なんで子供が親の望みを叶えなきゃならねえんだ!って気持ちと、許してほしいという気持ちのどっちもあって、その許して欲しさから自分を解放するのに案外時間がかかる。親も子も、お互いに他人同士だって理解しないといけないんだよな。

キンキーブーツはいま変化の過渡期なのかなと思う。現実社会の認識の変化に合わせて、表現の変化の途中だから齟齬が出る。2022年版で劇中の掛け声が「レディース & ジェントルマン they/them 本当の自分を探してるあなた」に変わったけど、they/themを入れる割に作品の中身にはノンバイナリーの視座はなく、どちらかと言うと男女二元論に終始する感じがある。このノンバイナリーも意識した掛け声に対して、歌詞や台詞に変化はなく繋がりがない。前回2019年版は確か「レディース & ジェントルマン そしてまだ決めかねているあなた」だったように記憶してるけど、決めかねてるも本当の自分を探してるも結局二元論に行っちゃう。they/themを足すことでノンバイナリーというジェンダーを知る機会は増えるけど、どっちかと言えばレディース&ジェントルマンを変えたほうが良いのかも?と思った。(色んな企業やディズニーみたいなテーマパークもHello everyoneやALL Passengersを使うように変わってるし)でも時代時代に合った表現を模索してどんどん変わっていくのはめちゃくちゃいいことだと思うので、また次のキンキーブーツを見るときは、この変えたところと変えなかったところでの座りの悪さを感じてしまう部分がうまく整ってるといいな。作品の中でのジェンダー観が古臭い割にthey/themの単語だけポンと出てくるから違和感が出てくる気がする。they/themを掛け声に入れるなら、そこで留まらずに根本の作中の男女二元論にも変化がほしいと思った。