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私の内包物をつれづれと

『Dancing☆Starプリキュア』The Stage 観劇感想

2023年11月1日、品川プリンスホテル ステラボールにて『Dancing☆Starプリキュア』The Stage を観劇。マチソワしました!

ぼくプリ評判がめちゃくちゃ良さそうだったから、見る前にソワレのチケットを増やしてマチソワにしてたんだけど過去の自分の判断GJすぎた。あまりにも良すぎてチケット増やして良かった……ほさかようが作るプリキュア面白くないはずがないよ〜!!! 

私はプリキュア世代ど真ん中ではないのでギリギリ初代と5を見てたくらい。でも初代の肉弾戦なキュアブラックキュアホワイトはすごく印象深い存在。今は女の子に限らずプリキュアがいるけど当初少女たちのための作品だったからこそ、舞台版のプリキュアが"男子"プリキュアとして有徴化して発表されたけど、観劇したプリキュアファンに「プリキュアプリキュアたらしめるものは何なのか」と考えさせ、晴れやかに彼らはたしかにプリキュアだったと語らせるような舞台、めちゃくちゃ面白そうすぎて期待に胸を躍らせて見に来たわけです。

東宝アニメーションの鷲尾天さんのコメントだと「男性だけで『これはプリキュアだ』と言える作品」は作れるのか?っていう挑戦の作品っぽかったんだけど、実際に見てみると"男子"プリキュアとしての有徴化をしようという意図はまるで感じなくて、"男なのに"みたいな無駄な葛藤がなくて良かった。

あんまり良くない言い方だけど、男しかいない環境だとちゃんと男同士でケアし合うんだよなあって思うし、嫉妬や羨望や優越感の入り交じる陰湿でドロドロして重たいウェットな感情を向け合う親友関係ってのが真正面から描かれたりするから面白いし、TAISEIくん平松來馬くんの熱演本当に良かった!ウルウル来てしまった。

序盤のキュアトップの変身バンク中だったかな、闇陣営のイビルダンサーも光陣営のステラダンサーも同じリズムで同じ振り付けで踊りだすシーンがあったけど、それって最後の戦闘シーンへの布石で、なるほど美しいなあと思った。絶望を味わった者は、特に大人は、容易に立ち直れないし新たな夢なんて見れないけど、プリキュアが闇のリズムの中でも踊って見せたのが、イビルダンサーたちがプリキュアのダンスに惹かれて踊りだすのが、それが結果として光のリズムに変わっていくことが、楽がキュアトップの姿で語ったみんなを笑顔にする夢の、みんなが本当にみんなだって事を描き出してる。味方も敵もみんなに笑顔になってほしいって。

室井先生がすごく良いキャラクターだった。伊藤裕一さんのベテランの凄み、なにか喋る事に空気が変わるのがすごい。本当の平等・本当の公平、正しいように見せかけた極論で子どもたちを誘導する悪い大人。なんだけどそれによって楽と颯斗の意見が食い違って、物事は本来多面的であるってことがよくわかるし、軍隊のように同じ動きのダンスを否定してフリーなダンスが良いとした彼らに、"型にはまらない自由さ"と"みんなで一緒に力を合わせること"は矛盾するのでは?と突きつける。型にはまらない自由さが引き立つには一定のスキルだったり整然さもまた必要で、単に抑揚のない無秩序な自由さが魅力的に見えるのか?ってのは当然あるし、室井先生は表現者として大先輩だからこそ、自分の楽しさや気持ちよさや表現したいこと見せたいことと、実際に見てる人からはどう見えるのかバランスってのを本当はよく分かってるんだろうな。

即興で踊る課題に対して予め組んでたルーティーンで踊ることもフリーで踊ることも否定しないし、一人で踊ることも仲間と踊ることも否定しない所がすごく良かったんだけど、ダンスバトルを否定する発言もどこかでフォローが入るといいなあと思った。楽しいダンスだけが正しい訳じゃないし、ダンスバトルの激しさや緊張感やぶつかり合いこそが自己表現できる場であり楽しいって子だっているはずで、舞人くんだってそうだったかもしれないじゃん。

蛍と充の病室での闇落ちシーンにメタファーを感じてしまって、日本初演のナイツ・テイルで、エミーリアとフラヴィーナが花畑でふたりシーツをかぶって笑ってるシーンがメタファーじゃん!だったのと同じと言うか。闇のシーンか光のシーンかの違いだけで同種のメタファーだと思った。

森田桐矢くん演じる月宮爽々奈先輩、相手が自分に魅了されるのをわかっているコントロールされた言動と、それを突き破って出てくる特別な人にしか見せない内側のコントラストがなかなか罪深いキャラクターだなあ。人間は当然多面的なんだけど、柔和で明るくリーダーシップもある人気者の人物像を自己演出している自覚も月宮先輩にはきっとありそうだと感じたし、だからこそ天弦先輩の前ではその鎧が少しほころびるというか仮面が脱げてしまう、荷をおろせる瞬間があることに少し安心する。でもあなただけにはここまでさらけ出している、ということがあんまり天弦先輩には伝わってなさそうにも見えた。普段の言動や戦いを見てると愛の戦士(黄色で愛の戦士だと個人的にセーラーヴィーナスになってしまうけど)だな〜。ソウルダンスはゴスペルをルーツの解放のためのダンス、つまりは差別や抑圧からの解放で、様々なダンスを網羅したうえでそこに惹かれるっていうキャラクターだから、もしかしたら心の中に誰にも明かしていないクローゼットがあるのかもなとも感じた。

寺坂頼我くん演じる天弦晃雅先輩、実家の神社との関係があまり良好じゃなさそうだったり、実家のしきたりで巫女さん姿で舞ったりしてたらしい話から考えると、普段の怒鳴ったりしかめっ面したり厳しい言動や"男らしい"振る舞いって、あえてそう振る舞ってる感じにも見えてきてしまう。キュアカグラ変身後の口上は柔和で高めな声色で表情もにこやかなんだけど、それは変身による普段の振る舞いからの解放なのか、過去の刷り込みの表出なのかはまだわからないけど。なんか抑圧的というか、自罰が強いキャラクターだなと思う。一般人の充がイビルダンサーによって事故で怪我した時に、キュアブレイクに対して「お前がひとりで突っ走るから」って言ってしまうのも、自分に厳しくて許せないことが多いから他人にも厳しくて許せなくなりがちなのかなと。
天弦先輩のキュアカグラと舞人くんのキュアブレイク、写真で見るとそうでもないんだけど生で見るとカラーリングがかなり共通しててなるほど!となった。

小辻庵くん演じる黒瀬舞人くん、ツンツンして素直じゃないのに押しに弱くて可愛すぎた……。しかし経緯が重くてびっくり。イビルダンサーとの戦いのなか自分のせいで無関係の同級生に重い怪我を負わせた、しかもダンス部で実力を認めている(プリキュアとしての実力も同様にってことだよな)天弦先輩からもそう言われて、プリキュアも部活も辞めてたなんて。
ここで楽のまっすぐさ、裏のなさ、相手の心の内を知らず知らずのうちに見通して、そのまま素直に口にしちゃう所に、舞人くん以上に見てる方が救われてしまう。舞人くん曰くバカが移った颯斗もまた、楽のまっすぐさに救われてるから、苦しみの中で一人になるより一緒に乗っかってみようよ?って潤滑剤になってくれる。舞人くん自身が自分のせいだと思ってるから、ダンスが上手くなることが強くなることが贖いになってしまいそうだったけど、楽と颯斗がダンスは本来楽しくて疲れてても何故だが心と身体が動いてしまうものなんだって引き戻してくれる。楽の天真爛漫な強引さが良いほうには働いた。この後輩トリオ可愛すぎる〜!

滝澤諒くん演じる夏目颯斗くん、闇落ちも早ければ復活も早かったのでよかった。中学時代にダンスの天才って言われてたけど、隣に自分とは違う感性でダンスをものすごく楽しんでいる眩しい存在が居続けたら、しかもその存在は自分の悩みも知らず無邪気に自分を天才だと言いながら、自分には持ち得ない光り輝く個性を見せ続けてくる、自信喪失も鬱憤も蓄積されたものだよなあ。情熱と冷静のロックダンス、穏やかで冷静で優しくて、でも本当は激情もある。自由に不自由さを感じてしまう凡庸な自分を好きになれなくて、自由を自由として享受できる楽が眩しくて仕方がなくて、自分のことが好きじゃないから夢が見られなくて。でも颯斗から眩しく見えてる楽にとっての原点は颯斗のダンスなんだから案外そんなもんなんだよな。自分は相手の光を眩しく受け取るばかりだと思っても、実は相手もそう思ってたりする。

田村升吾くん演じる星河楽くん、楽って実はあまり掘り下げられてないなあと思うんだけど、人との関わりの中で屈託のないキャラクター性が見えてくる。プリキュアになる経緯も特別な何かがあるわけじゃなかったけど、つまりどんな相手にも手を差し伸べるそういう素朴で稀有な心が資質なのかもしれない。心に影を落としてる人に直感的になのか無意識になのか、光をわけあたえていくキャラクターなんだろうなあと。颯斗も舞人くんも月宮先輩も室井先生も蛍も充も、その強引な光に触れて自分を少し許していくように見えた。
昼公演の最後、カーテンコールの挨拶で客席に小さなお子さんを見つけたキュアトップが、お〜い!って手を振って「いつかプリキュアになろうな!一緒に!」ってニカッて笑いながら言うの、本物のプリキュアすぎて最高に良かった。そこにいたのは田村升吾じゃなくてキュアトップだった、最高。

そして和合真一さん演じるパドドゥ、最後まで見て、この人に演じさせるんだからそりゃ何かあるよなあと納得。軽快に笑いを提供してくる可愛い妖精さん、ラストの落差に楽しくなってしまった。パドドゥってパートナーと二人で踊るバレエのことだから、今何らかの理由でここにいないパートナーを取り戻す(生き返らせるのかな)ために暗躍してるわけで。効率よく希望を集めるために絶望を増やす、回収のためにプリキュアを増やす。この暗躍っぷり、パートナーがここに居ないことの絶望がよほど大きいからだろうし、皮肉になっちゃうかもしれないけど、室井先生のよりももっと大きく眩いハートビートジュエルを生み出せるのはパドドゥ自身ってことにもなりそう。

2回しか見れなかったから確実じゃないのと夢を壊す発言だけど、一番最初のキュアトップの変身バンク中の楽をやってたのって高橋陸人くんだよね?あの変身バンクめちゃくちゃ良かった〜夢があって楽しかった。高橋陸人くんはテニミュ4thでは菊丸の分身になるしプリキュアではキュアトップの分身になるしヒーローすぎるぜ、最後ステラダンサーのみなさんがそれぞれ得意のダンスを披露してくださる所で何やらかっこいい大技決めてて思わずFoooo!!!って言っちゃった。

プリキュア有識者の方のぼくプリ感想面白いんだけど、皆様はプリキュアプリキュアたる所以ってどういうところだと思う?プリキュアど真ん中世代じゃなくて初代と5を見てたくらいの私の、ぼくプリを見た印象としては、祈りを馬鹿にしないってことかなあと。祈ること願うことの力を信じてるってこと。誰かが祈りを信じられなくなったら、プリキュアが全力で信じてくれる。信じてもいいって思わせてくれる。そう思えない自分のことをそれでもあなたに生きていてほしい、それでもあなたに笑ってほしいと祈りをくれる人がプリキュアなんだなあって、今作を見ててそう思った。たとえその時その祈りが届かなくても。
キュアトップみたいな純粋に夢や希望を信じてるキャラクターが室井先生みたいに絶望の中で苦しむ人に祈る行為って結構グロテスクだし余計に追い詰める事にもなりうるんだけど、だからこそキュアトップのヒロイズムとしてじゃなく楽のエゴイズムとしての祈りにきちんと見えたのが良かったな、人と人だった。

"少女"という枕詞なしに少女たちが戦士であることがスタンダードと広く浸透した「プリキュア」って言葉はすごいなと思う。私はセーラームーン世代なので特にそう思うのかも。セラムン(特に原作)はどちらかと言うと男女の役割反転、少女は戦う使命があり、戦いに向いてない男は治癒や精神感応や祈りで後方支援したり家で子供を守る役割、お姫様の成長を促すため王子様が拐われたり洗脳されたり殺されたりする(いわゆる冷蔵庫の女の反転)。そういう逆転構造を描くことがカウンターとして作用する時代だっただろうし、セーラー戦士の中には性別二元論に収まらない両性具有的だったりジェンダーフルイドやクィアな存在もいたけど"男"は正義の戦士にはなれなかった。その世の中へのカウンターとしてのセーラー戦士の姿に私は救われていた。
世の中いまだに何に対しても男がスタンダードであることが多いから(manは人であり男である的に)女流〇〇だとか女〇〇だとか、"女優"だとかつけられがちなわけで、でもプリキュアでは少女がスタンダードだから男であるほうがこれまでは例外だった。でも例外を切り捨てて排除するのはプリキュアではないんだ。

もう大人になった私にもかつてのヒーローが信じても良い未来を見せてくれるって最高だし、そうしてくれるのなら、もう大人の自分がその誠意を返していくには、現実の世界で今生きてる子どもたちの未来が少しでも信じて良いものになるように頑張らないといけないよなあって思う。祈りの力を信じていられるように。

ぼくプリは絶対シリーズ化すると思ってるけど(絶対してくれ)、第一作目がこのクオリティだと次回作の期待のハードルもめちゃくちゃ上がるよ〜!シンプルに中身がすっごく良い舞台だし、昼公演から夜公演でまたさらに客席の熱も演者の熱も上がってて楽しかった。