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Being at home with Claude -クロードと一緒に-2023 観劇感想

 2023年7月6日、横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホールにて、クロードと一緒にを観劇。

 久々に見たクロードと一緒に、以前(2019年Cyan版)とは違うキャストだからそのキャラクター性も違って見えた。演出やセットの小道具もだいぶ違うから新鮮だった。

 怒号や罵倒や侮辱も飛び交う、二時間ノンストップの息が詰まるような怒涛の会話劇。こんなにもたくさんの言葉が行き来するのに結局言葉はなにも足りないって気持ちにさせられる。イヴの感情も真実も過不足なく言い表せるだけの言葉は存在しないってそう思う。足りないのに受け止めきれない、身体から無理矢理にこぼれる言葉はイヴから絞り出された瞬間に変質して彼なりの正しさを失ってるような気もする。イヴのクロードへの募る感情が執務室の中でどんどん密度を増して渦巻いて稲妻みたいにほとばしって、でもイヴの思うその通りには誰にも伝わりはしない。言葉はなにも足りない。

 クロードと一緒に、好きな作品なんだけど良くわからない作品でもある。事件のなかの矛盾や謎がそのまま判明も解決もせずに終わる。そこを解決するのが目的じゃないからなんだけど、だから私から見えたものもきっと全然「真実」ではないんだろうなと思う。だれも「真実」に届かない。イヴの中の「真実」だってそう。客席のひとりひとり見えるものも感じるものも違って、見ている人の分だけ「真実」が分岐してしまう。そういう変な物語だなあと思う。

 今日私が見た松田凌さんのイヴは、なんだか半分魂が抜け出てしまったような彼だった。クロードを想いクロードからの想いを感じ取り、その度にそこに居ると思ったりそこに居ないことに気がついてしまったり、恍惚と愉悦と茫然と空虚を絶えず行き来していて、髪をクシャクシャにかきまわし叫んで悶えているときも、本当はもうその足が地面を確かに踏みしめているのかわからない不安定さがあって、クロードの命とともにイヴの質量も抜け落ちてしまったんじゃないかって思わせる虚がそこにあった。

 速記者ギイの存在意義は、ただでさえ事象をその通りに表現するのに言葉はなにも足りないのに、途中で居なくなるし居ても手を止めてしまう、取りこぼしてしまう、イヴの言葉はどんどん行方不明になる。だからこの場において言葉には真実などというものはなく、ただ残すことにのみ特化しているんだと気づかせてくれる事かなあと思う。井澤勇貴さんのギイはふてぶてしくて狡猾で強かな仕事できる感じがして悪く言うといけ好かない男で、2019年Cyan版の川野直輝さんのギイの従順ででも少しおっちょこちょいな子犬っぽい感じとは全然違って面白かった。