インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

私と腐女子という言葉について

 最近腐女子という言葉について語っている人が多々見受けられた。差別的侮蔑的だから別の言葉にしない?って感じだったり、自虐なんだから向かうのは自分であって他者への差別じゃないって感じだったり、私達の言葉なのに奪わないでって感じだったり。
 いろんな人が語ってると自分も語ってみたくなるので、「私個人と腐女子という言葉」について考えてみた。私がどう思ったか、なので私にとっての答えしかないです。

 

 BLが好きなのは昔からで、その当時は当たり前のように腐女子を自称していた。というか、先人オタク達がみんなそれを使っていて、それを使うのが当たり前だと思っていた。原作を捻じ曲げてBL妄想をする自分たち女オタクは腐っているという自虐が当たり前で、自虐していれば何故か安心なのだという空気がそこにあり、そういうものだった。
 私はBL好きではあったけれど、男女CPもGLも好きだった。けれど当時は何故かなんの疑問もなく腐女子と名乗っていた。

 私には好きな少女漫画があった。その作品は原作コミックスとアニメがあり、原作では公式男女CPとGLがあって、それが特に好きだった。
 アニメの方は詳しくはないのだけれど、原作とは異なる公式の男女CPやBLもあるようだった。
 二次創作をみていると、当然どちらのCP創作もあったし、どちらにも当てはまらない非公式CP創作(公式CP女の子側が、別の男の子と組み合わせになる男女CP)もあった。その非公式男女CPは、公式男女CPよりも遥かに作品数が多く、当然同人誌もたくさんあり、当時の私にはそのジャンルの覇権でもあるように思えた。公式男女CPが好きだった私はそのCPが嫌いだったけれど、数が多いのでどうしても目についた。

 当時従兄弟の部屋で、その少女漫画の同人誌をうっかり見てしまった。装丁がとてもきれいでしっかりとした分厚い本で、彼の部屋には原作の画集などもあったので、てっきり公式の本だと思って手にとってしまった。今思うとそれは同人誌の再録本だったのだろう。主人公の女の子たちが男やモンスターに陵辱されるR-18作品だった。

 私は一時期、その好きな少女漫画やその創作物を見るのを辞め、他の作品のBL二次創作にはまった。日曜の朝にやるアニメで二次創作の分母は多かったものの、マイナーなCPだったので作品数が少なく、同盟サイトにも自分を含めて5人しかおらず、拙いながらも二次創作をする側にまわった。自分でも書きながら、〇〇受け同盟や〇〇受けサーチなどで総受けの人が書く数少ない自CPを読み漁ったりした。
 その後も別の少年漫画にハマり同人誌を買ったり、別のアニメにハマり二次創作BLサイトを日参しては掲示板で交流したり感想を送ったりして過ごした。

 そうやって別のものに夢中になった時、あの以前好きだった少女漫画とその二次創作をまた見られるようになった。時間が経って陵辱物をいきなり見た衝撃が少しおさまったのと、自分の衝動は自分で形にできるという経験ができたからかもしれない。二次創作を見て回るとあの頃の懐かしさがあった。好きな組み合わせの作品を読み返したり、オールキャラ物も楽しんだり、美しいイラストを見て癒やされたり。たまに好きな男女CPの創作もした。

 あの頃にはわからなかった違和感があった。
 このジャンルで大多数を占める非公式男女CPや、かつて私がうっかり読んでしまった陵辱物の同人は腐ではないんだよな。この人たちは自虐する必要ないんだ。私が書いていたマイナーなBLCPと、公式男女CPよりよっぽど多い非公式男女CPや、特定の相手ですらない陵辱物は、原作とは違うとされる創作物という意味で同じ土俵ではないんだろうか。
 当然R指定のものはR指定として未成年に触れないようにしなければならないけれど、この作品たちは、この創作をしてる人たちは、腐ってるから隠れなきゃなんて仕草を刷り込まれていない。

 なあんだ、私は隠れなきゃいけないなんてことなかったんだ。そう思った。だって同類がいるんだから。私が嫌いな創作は、私と同じように公式でも何でもない誰かの勝手な妄想で、でも別に自虐なんかせずに普通にそこにある。私が嫌いだろうと何だろうと関係なくそこにある。それってめちゃくちゃ救われる。誰かが私の書いたBLを大嫌いでも、私もこの創作物も別にここにいていいんじゃんって。

 それでも刷り込まれ続けた隠れなきゃっていう根性はすぐには直らなかった。隠れなきゃって思ってる腐女子が周りにたくさんいたから。知らない誰かにも、仲間だと思っていた誰かにも、無駄に叩かれたくないし、戦いたくない。個人サイトが減ってPixivを利用する人が増えて、私もPixivに作品をUPするようになった。当たり前に腐向けタグをつけて。腐発言って誰かに揚げ足を取られそうな言葉はTwitterにも鍵をかけてつぶやいてた。

 でも腐女子って言葉は自分には合ってないような気がした。私はBLだけが好きなわけでもないし、BLを愛好している自分も、BL自体も別に腐ってるって言う必要ないと思った。というか、誰かと誰かを自分の好き勝手に妄想のままお人形遊びごっこ遊びに使って創作をするすべての人が同じ土俵のはずなのでは?私は気持ち悪い妄想してるかも知れないけど、私が腐ってるなら、あなたもあなたもあなたもあなたも同じく腐ってるんじゃないの?と思った。だから、PixivにUPした作品の腐向けタグを全部消した。消しながら、同じ人間から生まれた創作物なのに男女CPには腐向けなんてつけた事なかったんだって気づいた。消したところで何も起きなかった。でも私は少し自由になった。そうしたらだんだん吹っ切れてきた。

 腐女子って言葉は私が生み出したわけでもないし、そこにいた先人たちに与えられた言葉を、ただなんとなく使っていただけだった。でも名前があると、ここにいていいって思えるのはわかる。このコミュニティは自分の居場所だって。腐女子って言葉は誰かにとってライナスの毛布なんだろうなと思う。

 でも私にとってはもう居心地の悪い言葉でしかない。Twitterのタイムラインでも腐女子を使わない人が増えてきた。Shipperって言葉を使う人も増えた。もしかしたら元から腐女子は自分の居場所じゃなかったのかもしれない。私はShipperも今は特に使わない。関係性オタクという意味では近いかもしれないから、いつか使うかもしれないけど。私は私が好きなものだけが好きだし、それ以外はだいたい嫌いだし、嫌いなものはものすごく大嫌いだ。けど、嫌いなものも居ていいって世界じゃないと私には居場所がない。だから被害妄想のように覇権ヅラとか思っていた大嫌いな非公式男女CPは正直今も見たくないけど、そこにいてくれて良かったなと思う。公式男女CPが至上で二次創作BL嫌いな人ってこんな気持ちかな、なんて想像もできたし。
 私は腐女子って言葉を使わないことにした。自虐はもうしたくなくなったし、自虐を許し続けるのは他虐も許してる気もするし。私の創作物や垂れ流す妄想が嫌いな人はごめんな、腐女子じゃなくてもBLは好きだしこれからもここに居る。

追記 「腐女子」という言葉とそれを使う(使っていた)人の関係、言葉の出会い方や付き合い方や内包する意味やその捉え方って千差万別だと思う。さらに言えば言葉が生まれた当時と現在でもかなり変容しているとも思う。それは使う人の意識も。このブログ記事をきっかけにTwitterのフォロワーさんと会話したけれど、私の腐女子歴と彼女の腐女子歴はまるで違っていて興味深かった。「腐女子」との出会いも付き合い方も意味の捉え方も個々に歴史がある。マイノリティを題材にした創作が、マイノリティ当事者の性を差別的に弄んでいる状態になってはいけないという自戒が必要なのは当然だけど、腐女子というラベルを貼っただけでそれができた事になるはずはないと私は思う。特に私のようにただ与えられた言葉を何も考えずに使って、自虐していれば安心なんだと言う空気に浸かっていたような輩には。もし当事者でなければその題材の創作を楽しんだりしてはいけないなんて事になったら、誰とも恋愛をしない私は男女CPもBLもGLもノンバイナリーの恋愛物も何も楽しんだらいけなくなるんだなあ、なんて思った。悲しい記憶を引きずり出すことにならないのであれば、いろんな人のいろんな「腐女子」論を読んでみたい。