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私の内包物をつれづれと

THE MIX UP Vol.3「朝日のような夕日をつれて」観劇感想

2023年3月12日、中目黒キンケロ・シアターにて、朝日のような夕日をつれて 夜公演を観劇。

観劇しながら脳みそがグルグル勝手に回りだして忙しい作品、久々に見た!小劇場の逃げ場のない閉塞感ととても良く合う、居心地が悪くて気持ち悪くて胸糞悪い作品で全然わかんなくて面白かった!!!

↑これ今日の観劇前のツイートなんだけどタイムリーすぎんか?と思った。

作中、政治批判というか社会批判も結構あって面白いなと思った。去年小劇場で観た舞台でも一見ギャグのようでいて痛烈な政治批判があって、現実とフィクションは別々だけど確実に繋がっているよなあと思った。世の中に蔓延る自己責任論、誰かのせいにするな、他人や社会を変えるより自分を変えろ、そうやって弱者が支配されやすいようにしていく、それに乗っかれる方が賢いんだと。

見終わったあとにふと、延々と繰り広げられた男たちの噛み合わない会話それ自体が加害者ケアの話で、それぞれがカウンセリングの最中の地点でもあったのかなと思った。ここ数年そういうことを考える機会が多いのと、そんな気配のする作品に触れることが多いからそう思っちゃうのかも知れないけど。

愛についてとディスコミュニケーションについて、作品の中で何度も問いかけられる。

おもちゃ開発会社の地点、ゴドーとゴドーを待つ者たちの地点、犯罪者の更生プログラムの地点、ミヨコがゲーム「ソウルライフ」の中で過ごした地点、現実の役者が劇中の役を全うしてる地点、役の中でキャラクターが与えられた役を全うしてる地点、役者が出てきちゃってる地点、全部がごちゃまぜに混沌とするようで、一瞬で線引きされる時もあって、逃げ場のない客席で翻弄されるのが楽しい。

セリフの量すごくて怒涛の会話劇に圧倒される。ゴドーを待ちながら古今東西ゲームをする男たち、〇〇だと思う四文字熟語、ずっと会話が上滑りしてて、ずっと相手の話を聞いてるようで聞いてなくて、スタート地点は同じだったのに全然違うところに行ってしまう。その噛み合わなさがすごく気持ち悪いんだけど、これって普段すごくよくあることで、自分が言った言葉が相手にそのまま伝わらず全然違うところに行ってしまったり、訂正してもなんかネジ曲がって、結局諦めたり、それは同時に相手にも起こってることなんだろうって思う。

SNSのいいねもそうだけど、別々の人生を生きてきた固有の人間が他人の考えを簡単にわかる!とかそんなの、本当はあんまりありえなくて、表層の一部分を自分に引き寄せて都合よく解釈しちゃってるだけなんだよなと。知る事と、理解する事と、共感する事は全部別で、なのに同じ事のように勘違いしちゃう。でもすごくよくあって、ありふれすぎている。

傾聴ってすごくスキルが必要で、普通に会話をしてると立場やモノの捉え方や前提条件が違うことを認識せずに自分の基準で話をしてしまうし聞いてしまう。相手の言葉が終わる前に、受け止めきる前に、理解したつもりになって、時には遮って、自分の話をしてしまう。コミュニケーションって本当は誰もができてない気がする。

絶対に自分を傷つけない他者に囲まれてソウルメイトと出会うゲーム「ソウルライフ」、これって怖いよな。自分と同じ価値観の人とだけ接して生きてたら、違う価値観を許せなくなってしまいそう。エコーチェンバー起き放題だ。ツイッターとかも既にそうなってるし、だから酷いヘイトや誹謗中傷なんかも蔓延ってるんだけど。

男たちが語る"ミヨコ"の気持ち悪さがすごい、幻想のミヨコのことを嬉々としてもしくは怒りながら語る前に、もっと彼らが自分の苦しみを理想化した女と切り離して語りあって、彼ら自身が自分の事をもっと慈しむことができればいいのに。社会に支配されて苦しい自分を、自分が支配できると思い込んでる女や娘って存在に大事させるのは復讐みたいで、成就する復讐は一瞬は快楽かもしれないけど、別にずっと気持ち良くはないんじゃないかな。全然わかんないけど。だって結局ミヨコは男たちに支配されてはくれなかったし。それで見当違いな憎しみを増やしてもなあ。無力だと思わされるから憎しみが増えてくのに、自分でそれを作ってるみたい。

刑法第39条の事を皮肉るセリフがあった。「心神喪失者の行為は罰しない」という法律に対しての皮肉、それは男たちに返っていく。彼らは現代で言う所の精神鑑定されると罰せられずに済んでしまうかもしれない犯罪者で、舞台上では彼ら医者と患者で、"医者と患者の役を演じる"カウンセリングを受けている犯罪者で、今までの会話劇もその一環だった。様々な地点が入り乱れてぐにゃぐにゃで一度見ただけではでうまく飲み込めてないけど。

日本は死刑がある国だから、ある意味犯罪者から逃げていて、犯罪者への更生プログラムもほとんどまともに機能してない。被害者へのケアも全然足りないけど、再犯防止には加害者をどうにかしなきゃ駄目なのに。死刑の無い国は何が何でも社会復帰させなきゃならないから、必死に加害者に適切なケアをする。たぶん同じ社会でどうにか加害者にも被害者にもならずに生きていかないといけないから。

愛について、男たちがミヨコになんか叫んでたけど、ミヨコはもっと違う階層にいて、ミヨコがソウルライフにハマってその中で自分の寂しさに気がついてしまった。ソウルライフが生み出す架空のソウルメイトは自分を傷つけない他人のようでいて結局は擬似的な自分自身で、他者からの安全な愛は目隠しした自己愛だった。自己愛は全然悪いことじゃないんだけど、あのゲームは自分で自分を大切にすることはできないんだ。なんか最近流行ってる、自分の機嫌は自分で取れとかそういう危ういやつに似てる。自分に何かを与えて自分の機嫌を取るのは一時の精神安定にはなるけど、理不尽な事にふざけんなって怒る、嫌なことは嫌だって、おかしい事にはおかしいっていう、そういうのの積み重ねが自分を大事に愛してく事のひとつなのに、そうできる場所からできない場所に行ってしまって、ひとりその安寧のまやかしに気づいてしまったのかもしれない。男たちはまだ生きてるんだから、まだ何とでもなるんだ。助け合いながら生きていけるんだ。

つい先日、テニミュ4thシーズンの関東氷帝大千秋楽だったんだけど、本田礼生くん石田隼くんはその前シーズンのテニミュ3rd関東氷帝以来の共演だったんだよなあと思うと、なんだか感慨深い。青学8代目の黄金ペア、卒業バラード『未来へ』で「君がいないことが普通になってくことなんてあるのかな」って歌ってたんだよな。その後、ふたりでやった以心伝心ラジオ聞いてたし(その頃ふたりは共演するならライバルがいいとか自分が悪役がいいとか言ってた)、公録も行ったなあと懐かしくなった。出演する舞台も面白そうなのはいくつか見てきた(MIX UPもvol.1から見てる)。隼くんが以前主演でやってた「口紅」って舞台が居心地悪くて息が詰まるし胸糞悪くなるんだけどすごくいい舞台で、またこういう作品見たいなあと思ってたら、ふたりの共演する作品がこんなにぐるぐると色々考えさせられながら没頭できる舞台で、最高の未来だなあって思った。

いい舞台とかいい役者とか全然わからないけど、隼くんも礼生くんも面白い舞台に連れてきてくれる素敵な役者さんで単純に嬉しいなあと、青学8代目のオタクは思った。