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私の内包物をつれづれと

平成中村座 十月大歌舞伎 観劇感想

2022年10月18日、平成中村座にて十月大歌舞伎の第一部・第二部の両方観劇。
平成中村座いつか行きたいと思ってたんだけど行けてよかった。仮設劇場なので座席は悪環境だけど、靴を脱いで上がっていくと江戸の芝居小屋をイメージした空間が広がっててワクワクして楽しい!あとどの席でも花道が見える作りなのもめちゃくちゃ良かった。平成中村座が古典だけに囚われることなく、古典も新作歌舞伎も、伝統も革新も全部まとめてやったらぁ!という今回の十月大歌舞伎、見に行けて良かった。

第一部の古典中心の演目はすごく重厚な歌舞伎を浴びて満足度が高かったし、第二部はしっとり優雅な舞踊物と超ハイテンションで破天荒な新作歌舞伎でジェットコースターみたいで楽しかったんだけど、一番印象に残ったのは二部の舞踊 綾の鼓だった。次点は幡随長兵衛。完全ノーマークの作品にぶっ刺さるのは楽しい!

◆双蝶々曲輪日記 角力

主役は大関濡髪(中村勘九郎)と素人角力出身の放駒(中村虎之介)二人の力士なんだけど、若旦那与五郎(坂東新悟)がめちゃくちゃチャーミングで楽しかった〜!イヤホンガイドで与五郎のような役を「つっころばし」と呼ぶと知ったんだけど、なよなよっとした優男でちょっと押されただけでふらっと倒れてしまうような頼りなさ、大関濡髪を推しに推しまくり、他の誰かが濡髪を褒めれば気前よく財布ごとあげちゃったり煙管入れをあげちゃったり上等な羽織りもあげちゃったり、おおらかで気前が良くてニコニコと楽しそうで、贔屓の花魁の身請けが危ぶまれのび太のように濡髪に泣きついてても、なんとも憎めない愛らしいキャラクター。
大関濡髪の貫禄たっぷりで重厚感のある物腰や口調と、放駒の若々しくて愛嬌があってチャキチャキしてる感じのコントラストが鮮やかで、濡髪がわざと負けたのだと発覚した後の双方プライドと恩人への義理を掛けた意地の張り合いはピリピリと緊張感があり見ごたえがあった。ここで幕切れなのが惜しい、続きが見たかった!

◆極付幡随長兵衛「公平法問諍」

はじまりが江戸の芝居小屋の劇中劇のスタイルなのが楽しい。平成中村座の江戸の芝居小屋を模したスタイルによく合ってて見ていてテンションあがる!劇中劇での坂田公平(片岡亀蔵)がすごく良い、あの唯一無二な声色とコテコテ派手派手な装備での堂々とした荒事の芝居が楽しい。そしてその芝居に見入ってると、酔っぱらいが乱入してきて役者がオロオロして芝居が中断し、劇中劇を見ていたってわかるのが衝撃的で、初めて見たからこその、え!?っていう驚きだった。
町奴の幡随長兵衛(中村獅童)がキリッとして渋くて、小気味の良い台詞回しも気持ちよくてワクワクした〜!旗本奴の水野十郎左衛門(中村勘九郎)も渋くてシリアスでずっと冷徹で、このふたりの緊迫感のあるやり取りがヒリヒリした。一幕での町奴と旗本奴の小競合い、芝居小屋での騒動を諌めた幡随長兵衛の小気味の良いかっこよさは清々しいのに、二幕三幕と怒涛のシリアス展開になってびっくりした。
意地を張らなきゃ、貫き通さなきゃ、生きていけない男の話だった。死に様を描くというのはある部分で生き様を描くということにもなる。二幕での長兵衛の、これからも子分らを含めた町奴達が生きていくために意地を貫き通すこと、死ぬ覚悟を決めていくことの静けさが印象的だった。水野の家来から屋敷への招待を受け、長兵衛が妻に手伝われながら紋付袴に着替える場面、いつかハレの日のために用意していた新品の紋付袴が死装束になっていく。着替えの手伝いをする妻お時(中村七之助)が、最後に取りそこねたしつけ糸をそっと取り払う仕草が静かに悲しかった。
湯殿での暗殺シーン、幡随長兵衛の意地を貫き通す生き様と死に様に敵ながら圧倒された旗本奴の水野十郎左衛門(中村勘九郎)は、この場では生き残りはしたものの、イヤホンガイドではその6年後に切腹で水野もまた死ぬ事がアナウンスされ、やるせなさが募った。

◆綾の鼓

中村扇雀さんの秋篠が良い。ミーハーの自覚があるので玉様や七之助さんみたいな美貌の女形が大好きなんだけど、扇雀さんの魅了されてしまう美の根っこはビジュアルというより技巧なのかな。生で見るとついつい目が引き寄せられる人。
綾の鼓は今回初見だったんだけど、静かで優雅で華やかで美しい舞踊の皮を被った、毒々しくて悪趣味で人間の欲望と浅はかさ満載の内容なのが良い。主人公だけが変わらず清らかで、周囲の女達はみんな魑魅魍魎かのよう。季節の移り変わりが背景に二枚並ぶ屏風の柄でわかるのなんて叙情的でめちゃくちゃ美しいんだけど、話の中身は割と悪趣味で見ててうわ〜ってなっちゃうのが面白い。
暇を持て余した夢のように美しい華姫(中村鶴松)とその侍女たちが、庭掃の初心な少年三郎次(中村虎之介)の淡い恋心を手ひどく弄ぶ。田舎者だ卑しいだ身の程知らずだなんだと勝手に見下した上で、歌って踊ってみせろと見世物にし、さらにこの鼓を打って音が鳴ればお前の願いを叶えてやろうと渡した鼓が、皮の代わりに綾の糸を張った鼓で端から鳴るはずがない。鳴らない鼓を必死で叩く三郎次を見て笑い転げるお姫様たち、大変悪趣味で胸クソ悪い。その分だけ三郎次の清純さが引き立つのだろうなあ。
夫と子供を亡くした元白拍子の秋篠(中村扇雀)が、生きていたら同じ年だった三郎次を拾って鼓の稽古をしてやりながら、本当の子供のように可愛がるところまでは微笑ましかったんだが、その後恋愛的な意味合いで想いを寄せるようになったのはびっくりした。三郎次への思いを秘めつつ秘めきれてない変化が、身のこなしや衣装や織った反物によって観客には伝わってしまう描写が美しかった。三郎次が秋篠の想いを知らないまま死別したのでちょっと安心した、重荷になりすぎるから。ラストシーン、秋篠の亡骸にすがりながら皮が破れ鳴らなくなった鼓を抱いている三郎次は変わらず清廉で美しかった。華姫に侮辱とともに与えられた綾の鼓を抱き絶望していた時と、秋篠に愛情とともに与えられた鼓を抱いているラスト、全く別の鳴らない鼓を抱く三郎次の対比が印象的だった。

◆唐茄子屋〜不思議国之若旦那〜

浅草を舞台にした落語「唐茄子屋政談」を元ネタに、不思議の国のアリスの要素を散りばめた宮藤官九郎の新作歌舞伎。
破天荒すぎてなんなんだこれ?ってなる所あったけど、落語の唐茄子屋を主軸に不思議の国のアリスの要素を入れてその異世界で落語の鈴振りも入れ込んでくるの面白かった。あと落語の大工調べも入ってるので要素だけでもかなり盛りだくさん。
歌舞伎というアウェーな環境でも観客を巻き込んでどんどん物語の中へと誘っていく荒川良々、すごかった。
店の金もつぎ込んで吉原通いして勘当されて橋から身投げする振りをしてる若旦那(中村勘九郎)の情けなくてなよなよで金にも仕事にもならないタイプの教養は豊かで見目の良さと愛嬌はたっぷりな感じが、歌舞伎ってつっころばしタイプの若旦那を偏愛してるなあと思う。
七之助さんの花魁、ルンバみたいな乗り物に乗ってて、蝶から蛾へメタモルフォーゼして若旦那に威嚇してるの、その描写の良し悪しは別としてゴージャスで面白かった。若旦那とふたりで踊る時のふたりの息の合いっぷりが見事で素晴らしかった。
一日で第一部第二部ぶっ通しで見てるので、幡随長兵衛の人情味のあるシリアスで渋いしっとり泣ける演技の後に、大工の熊の超ハイテンションで気はいいけど態度はデカくて良くも悪くも身体も口もよく回る姿を見ると単純に中村獅童すげえ〜!ってなった。重厚な古典やらせても破天荒な新作歌舞伎やらせても求められるものをバチッと決めてる感じ。天日坊見たときも思ったけど、中村勘九郎七之助獅童の揃い踏みのなんて贅沢なことか。全員が全員、期待して見に行って期待を超えて返してくれる安心感が素晴らしい。
勘太郎・長三郎兄弟、ひたすらに可愛いんだけど当然可愛いだけではない、当たり前に立派な歌舞伎役者としてそこに立っていた。勘太郎のミニ若旦那の立ち回りのなんの不安もない堂々たる姿も、長三郎の長屋の子の小生意気で口達者な様子がただ台詞を言っているのではなく歌舞伎のグルーブ感があるのもすごく良かった。
亀蔵さん演じる吉原田んぼのゲコミが、トノサマガエルにも雌はいるから、カエルに性別聞くなんてカエルハラスメントだから!俺は雄だけどねって言ってたの、カエルが両生類だからネタにしてんだろうな〜というのは理解したけど面白くはないよ。海老蔵のKABUKUの人種差別の時ほど批判を見かけないけど揶揄じゃん。荒川良々演じる若旦那の叔父が、自粛自粛って〜とコロナ禍への愚痴を言うのも客席が一瞬は盛り上がってたけど別に面白くはなかった。

以下は批判的な感想。
私は個人的に古典を大事にする事と同じだけ新作歌舞伎もあって欲しいんだけど、古典ではその時代背景ゆえ垂れ流しても良い事になってる差別やジェンダーギャップの描写をそのままのノリで新作歌舞伎に持ち込んだら、そりゃ批判されるの当たり前だと思ってる。だって新作なんだから。
唐茄子屋での性的少数者への揶揄だったり、弁天池へ身を投げることを気軽に描いたり、花魁に対して直接的なエロ消費を面白おかしく長々と描写したり、それ自体が問題というより、作中で無批判に垂れ流すから作家も演者もそれが悪い事だという自覚すらないのか?という恐怖に駆られるから批判されてる。周囲に誰も止める人がいなくて、それが何故批判されるのかわかってない感じが辛いな〜とは思う。
個人的にはあの下品なエロシーン嫌いじゃないよ、若旦那・イン・ワンダーランドでメタバースの吉原に飛び込んだ先で坊主たちと落語の鈴振りに巻き込まれ煩悩に負けて金髪の花魁に腰振っちゃう若旦那のペラペラの薄さのクソ野郎な感じ好きだよ。でも坊主が延々下ネタ叫びまくってるのは興醒めするし、内容的に批判されるのも当然だと思う。私が見に行った回では、鈴振りのシーンで割と早めに舞台上のお子様たちを退避させてたんだけど、まあ子供にやらせるのも見せるのも駄目に決まってんだろとは思う、それが明らかなフィクションだろうが駄目なもんは駄目じゃん。
バニラカーネタも、私は現代を生きるオタクなもんでこんなん今までいくらでも炎上したネタだろうがよって思うけど、歌舞伎の世界じゃわからないんだな〜と思わされた。
だからこそ新作歌舞伎はどんどんやるべきなんじゃないか?とも思う。もっと批判されて、新作だけじゃなく古典だってもっともっと別の描き方を模索すりゃいいと思う。
正直、差別や人権問題やジェンダーステレオタイプな描写に辟易しながら高い金を出して歌舞伎見なくたって、そういったストレスを感じずに楽しめるもっと安価な娯楽は今いくらでも存在してる。若者に歌舞伎を見てもらいたいなら(30代半ばの私はおそらく若者の方に入るだろう)、古典も新作も現代を生きてる人間が楽しめる作品にする努力をしたほうがいいんじゃないかと思う。例えばはいからさんが通るが新装版を出した時の巻末に書かれた注意書きのような、時代背景からくる実際にあった差別意識や人権問題やジェンダーギャップを認識した上でこの作品があると提示する事は見る側への誠意だし安心感につながる。そしてその自覚があって作られる作品は表現だって変わってくる。その誠意の必要性を感じないなら、歌舞伎はどんどん時代錯誤な娯楽になってしまうかも。