2024年12月23日、歌舞伎座にて十二月大歌舞伎第三部『舞鶴雪月花』『天守物語』を観劇。
人外主人公もの2作品どちらも面白かった!
舞鶴雪月花は初めて見た演目だけど、中村勘九郎による一人三役で早替えもあり楽しくて見やすい舞踊。春は桜の精が振り袖を着た町娘の姿で踊り、秋は息子の長三郎と親子共演で松虫の父子が儚い命を踊り、冬は大きな雪だるまが炭屋の娘に惚れて恋心と太陽に溶かされる様子の可笑しみを踊る。桜の精の舞踊では普段立役の勘九郎さんが振り袖で踊るが、素人の目から見ても普段から女形をやる役者の舞踊とはどこか雰囲気が違って感じられて面白かった。
期待してた天守物語は去年と演出がガラッと変わってて冒頭からグイグイ世界観に引き込まれたし、團子くんの図書之助すごく良かった!玉様の富姫と七之助さんの亀姫の最高級に艶やかで雅で特別な慕わしさによる気安い毒と棘のあるヒリつくような愛らしいやりとりが最高すぎて脳みそ溶けるかと思った。
天守物語の冒頭、シンセサイザーの幻想的な音楽と真っ暗闇からの緞帳を使った月の演出すごかった!客席が一気に静まり返ってじっと耳を澄ませて気配を感じようとするあの感じ、遠くからわらべうたが聞こえてきて緞帳が上がっていって、人あらざる者たちの統べる世界へ一瞬にして引き込まれた。
どうしても去年の天守物語と比較しちゃうけど、去年はどちらかというとスタンダードだったんだろうな、玉様から七之助への富姫という大役の継承があったし。シンセサイザーの演出は日生劇場などでの公演ではやっていたらしいと聞いたことがあったけど、それを今回歌舞伎座で行ったんだろうか。歌舞伎座だと和楽器のイメージがあるが、シンセサイザーの音色は演目の内容とも合っていてすごく良かったし好みだった。去年の天守物語の記憶がまだ新鮮だから演者の違いによる楽しさも増し増しだった。
玉様の富姫が本当に美しくて余韻に浸ってしまうのだけど、富姫が図書之助に お前が主から理不尽に与えられた誤った罪と罰に従順であることは主に誤った道を歩ませることになるんじゃないのか と突きつける場面が本当に良くて、天守物語は人間の倫理観で生きてない異界の者たちの方が高潔に描かれてる。
「鷹には鷹の世界がある」
團子くんのインタビュー記事の中に、玉様から台詞を最後まで聞く前に反応していると指摘された話があった。日本語は最後まで聞かないと意味が逆転することもあるからねと。富姫が「鷹には鷹の世界がある」と言った時、その言葉が確かに図書之助の心まで突き刺さるように届いたのが見えた。富姫は美しい姫君の姿をしているが人間ではなく異界の存在、人間とは別の世界の価値観に従って生きる者。富姫は自分の中に確かな評価軸がある。揺るがぬ自己決定権がある。鷹匠である図書之助の手から離れていき戻らなかった鷹のように。主人に従う事こそが是であると忠義に尽くす図書之助とはまるで違う世界の存在、理不尽に命を奪われることまで飲み込む図書之助を慮りながらも正面から間違いだと憤るその富姫の気高さにどうしょうもなく心惹かれたのだろう。図書之助の心根の清廉さ、自己矛盾に苦しむところや人間としての未練までもがまっすぐ清らかで、富姫はその苦悩すら美しい様に心惹かれたのだろう。
天守物語は原作を読んだことなくて歌舞伎でしか見たことないけど、人あらざる者たちの人間の価値観とは別の生命の無邪気さを描きつつ、その生命の高潔さが人間の愚かさを炙り出していく中で、最後の最後に人が生み出した芸術が富姫や図書之助を救うのは、失望もしてるけど人に落胆し続けたくもないってことなのかな。
玉様から七之助さんへの役の継承、実際に生で両方の演技をそれぞれ見比べられたのが伽羅仙台萩の乳人政岡と天守物語の富姫だけなんだけど、玉様と七之助さんっていい意味で全然違って面白い。玉様は柔和さ柔軟さがあり緊張感の種類は張りつめた糸みたいで七之助さんは金属や鉱物のような硬質さがある。去年と今年で、坂東玉三郎の富姫と亀姫、中村七之助の富姫と亀姫を見られたというのは非常に贅沢な体験だった。玉様の富姫が見られるのはこれが最後かもしれないから見られてしあわせだった。
團子くんの図書之助のあのあふれる苦悩と哀しみの圧倒的な透明感、見ていて既視感を覚えたんだけどEndless SHOCKのライバル役初演時の佐藤勝利だ、身を切られるような苦悩や憎しみに似た哀しみに血の濁った色が混じらない無色透明なところ。普通の人間よりも数センチ浮いた場所に足をついて生きてるような澄んだ気配と、けれど本人は他者と同じ地平に足をついて生きていると思っている実直な真摯さ。
坂東玉三郎に10年ぶりに富姫を演じる気にさせた市川團子がすごい、足向けて寝られないぜ。染五郎くんの光源氏と玉様の六条御息所も良かったな、今年は面白い歌舞伎を当社比でたくさん見られた。いい観劇納めでした。