インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

箱庭円舞曲 今はやることじゃない 観劇感想

箱庭円舞曲「今はやることじゃない」という作品をブログのコメントで勧めてもらい、見れるタイミングができたので、観劇三昧の配信にて観劇。以下とりとめのない感想。

 

会話劇こわかった。怒涛の情報量。空虚でから回る、噛み合わない膨大な言葉のそれぞれに、どんな意味があるんだろうって思いながら聞いて、でも圧倒的な言葉の洪水にどんどん押し流されていく。取りこぼしてるなあって思うと余計にどんどん取りこぼして押し流されて行く感じが怖い。配信なのでもう一度見返しながら思うところを書き留めた。

ラーメンの話だったけど、演劇の話で、創作の話で、他人と自分の話だった。

店主を見ていて、好きな人の好きなものを好きになれなくてもいいよなあと思ったり、あと好きな人の好きなものを好きになったとしてもそれを生み出す事ができるかは別だったり、たとえ生み出せたとしても上手ではなかったりするよなあと思った。でも上手じゃなかったら駄目なのかな、とも。

ある事象に対して、自分と他人では向き合い方が違うのは当たり前だ。好きな人が生み出したそれをトレースしたところで、別物だってことは自分が一番わかってる。そんなの大して愛せないから、余計に他人の評価が必要になる。他人からの太鼓判がほしいんだ。

流行だとか、勝ち負けだとか、評価軸を他人に据えると苦しいんだけど、でもどうしたって自分を捉えるには他人の視線は必要で、でもそれに振り回されると自分じゃなくなっていく。

食べログとか、ネットで不味いって書き込むのとか、口コミサイトのやらせとか、顔見て言ってこないやつの戯言は気にしなくていいって話も、それを信じるのは客の方って話も生々しいしどこにでもある話。それって良い意見も悪い意見もそうだよなと思う。店主のラーメンは美味しいって盲信してしまった元不動産屋は沢山アカウント作って口コミサイトに本当に善意でさくら投稿しまくったんだろう。ファンの盲信、良くある。例えば好きな作品や好きな人の良いところだけしか見ないしつぶやかないとか、真っ当な批判に対しても過剰に対象を擁護したりとか、まず批判をしないとか、そういうのありふれてる。

必死でやってるときの空回り感ってしんどい。視野が狭いし行き詰まってても自分では気がつけないし誰かが何が言ってくれてても受け入れられないし。

今だけ・ここだけ・あなただけ、売れるために必要なのってこれらしい。むかしなんかのセミナーで聞いた。この3つで人の焦燥感を煽るだけ煽ってやると売れるらしい。

今じゃなかったんですよ。ってしんどいなあ。今じゃなければいつだったらいいんだろう。いつならいいんだろう。優先順位ってどうやって決めるのか決まるのか、そんなの人それぞれで、どうやったらすり合わせられるんだろう。他人同士、すり合わせたら痛いに決まってる。みんな大事なものが違うし見えてるものも違うし、みんな普通だし、みんな違う普通しか持ってない。

こだわりを捨てるってしがらみを捨てる事だし、捨てて良いことだってあるけど、しがらみになるくらいの何かを捨てたら抜け殻になっちゃうことってあるよな。諦めちゃうと、なんで頑張ってたんだろうって。虚脱感、金かけて時間かけて作ったスープ捨てなくて良くなったけど疲れちゃう、簡単で誰でもできるもの自分じゃなくても作れちゃうもの、自分がなくなっていく感じなのかもしれない。でも自分じゃなきゃ絶対にだめなものなんてどこにもない。自分じゃなくちゃ駄目だと他人に思い込んでもらえることってすごく珍しいことで、それが欲しい人は誰にでも使えるノウハウを作ることに意義を見いだせないからそこに納得はない。

店主は妻の作ったものと同じラーメンを生み出したいけど出来なかった、大衆に愛される創作に向いてなかった、ひとりだけ好きでいてくれたけど離れちゃった。悲しいなあ。でもその妻のラーメンですら「美味いラーメン」だったのかって疑問も投げかけられてしんどかった。美人な女将さんが作って振る舞うラーメンという付加価値がなければ、どれだけの人が美味しいと評価したのか。でもそれすらも実力のうちだと言えばそうなんだよ、別に卑屈になる必要だってないだろうけどムカつくなあと思う。でも店主が好きで米澤さんも来てたしな。

ラーメンオブザイヤーのランキングを買う買わないの話、あーすごいわかる、興味ないものは何となくランキングで上位のを上澄みだけちょこっとさわって味わった気になる。そういう楽しみ方をしちゃう、なんだってそう。だけどそういうランキングだとか作られた大衆人気だとかって、その対象を好きなファンをすごく馬鹿にしてるし見下してもいて嫌んなる。嫌になるけど自分だって絶対どこかで加担して、楽しんでるんだ、本気で好きじゃない何かなら。

でも端から金で買った1位だとか、たかが一時的な流行だとか、舐めてたら足すくわれるんだよな。

ちゃんとやってると報われる、ちゃんとやってる人に天使は微笑む、ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんとちゃんと、あーうるせえってなった。故意に言ってるのがわかって笑っちゃう。身につまされちゃった。

ラーメンを作って本気で、本気で、娘が言うけど、店主にお母さんのラーメンは作れないんだと突きつけながら自分のラーメン作れって、残酷だな。でも同級生に自分の家のラーメン不味いって言われてラーメン嫌いになるのすごく純粋だ。自分の好きなものを他人に嫌いって言われて自分の価値観を否定された気になる。別に全然そんな訳はないのに、案外それに気がつくのに時間がかかるんだよね。

店主はラーメンを作る才能ないんだけど、妻と妻のラーメンの永遠のファンなんだなあ。信じていたかったからその場所を守りたかっただけ。だから自分のラーメンなんて作れなかった。ラストシーン、店主が娘の作ったスープの寸胴鍋を開けていい匂いって笑うの、もうひとりで必死に守らなくてもよくなった安堵のようでよかった。

「今はやることじゃない」勧められてみてみたけど、コロナ禍で見るとすごい身につまされつつ背中を押されるような作品だった。タイトルが本当にね、しんどい。好きな舞台のチケット、どれだけ払い戻したことか。役者さんもスタッフさんも劇場も、舞台の火を灯し続けてくれることがどれだけ大変で、どれだけの人の心を救ってくれているか。エンタテインメントそのものが私には大切だし、大切なものの居場所がなくなってしまわないように祈る日々の、よすがでもある。