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Dramatic super dance theater《サロメ》 観劇感想

2017年12月9日、シアター1010にてDramatic super dance theater《サロメ》を観てきました!
ビリーエリオットの木村咲哉くんが少年役で出るということと、以前この少年役を三浦宏規くんが演じていたと聞いて気になっていて、直前になってたまたまチケットが手に入ったので行ってみたらとても面白かった!古典のオペラのサロメも見てみたくなった!

サロメは学生時代にビアズリーの挿絵を見たときの、単純に美しいとは言い難い禍々しいあやしい雰囲気を今でも覚えてる。
舞台上にサロメが登場した時、まるで少年のような清々しさ凛々しさをまとっていて、想像していたあやしい雰囲気とは違っていたのだけど、最後まで見た後、やはりあのビアズリーの挿絵の禍々しい妖しさをたたえたサロメを思い出してしまった。サロメの多面的な感情と美しさが短時間で表現されていて圧倒された。

前情報をほぼ入れずに見に行ったため、最初幕が開いたとき何が始まったんだ?とぽかんとしてしまったけれど、こういう作風なのかと慣れてしまえば音楽とダンス中心の作りで見ていて飽きない。

この劇のサロメは男性が演じていて(エロディアも男性が演じていたが)サロメ自身は言葉を話すシーンはあるが役者は一切喋らない。その作り方が、サロメの誰をも魅了する美しさと神秘性と妖艶さを見るものすべてに自由に想像・創造させていて良かった。

序盤、サロメと少年のダンスが何度も出てくるんだけど、無邪気で楽しそうに踊ってるのが本当に見ていて楽しい。花を持って一緒に踊ろうとサロメの周りを飛び跳ねる姿がチョウチョみたいで愛らしいし、一緒に踊るサロメも愛らしい。この無邪気さ、軽やかさが、この後恋に溺れて欲望にまみれていくサロメの姿ととても対比的だ。

執着の表現のための使われるロープがとても効いてて良かった!サロメとヨカナーンサロメとエロド王、それぞれのダンスに執着を可視化させたそれがすごく効いてて、言葉がなくても伝わってくる。雁字搦めの執着がそのまま体にまとわりつく、手繰り寄せる、拒絶する。言葉のないダンスだけのシーンだからこそ、この演出は過不足がなくて、視覚的にも美しく妖しく映えて、好きだった。

エロド王もエロディアも欲望にまみれた大人という表現がされている中、サロメは最初少年性すら感じるほど無垢に見えたけど、ヨカナーンに恋をしたとたんに強烈な欲望にまみれていく。
多くの欲望の対象であったサロメが、ヨカナーンにはまるで見向きもされない。必死になってヨカナーンに口づけを乞う姿、思いが募って踊り狂う姿が哀れででも美しい。ヨカナーンが思うままにならないとわかると、その思いがより狂気に落ちていく。

サロメがヨカナーンを手に入れるために、エロド王の前で踊った「7つのヴェールの踊り」は今で言うところのストリップなんだろうけど、少年との無邪気なダンスも、己の欲望のために性を切り売りするような妖艶な官能の踊りも、まるで別人に見えるのに確かに同じサロメで、無邪気性を持っているから聖人君子なわけではなく、ヨカナーンの口づけが欲しくて殺してしまうの残忍性もまた無邪気で純粋なんだと思った。

願いが叶いヨカナーンの首を手にしたサロメの、歓喜のダンスがもう圧巻。首だけになったヨカナーンに口づけながら踊るサロメ、欲望に突き進んだ狂気に満ちた姿は悲しいのに本当に美しくて言葉にならない。歓喜と絶望が裏表になってくるくると回っているみたい。これを幸福だとはまっすぐに言えないけど、不幸とも言い難い。この瞬間のサロメは、決して単純に不幸でかわいそうなのではないと思った。

カーテンコールの後、最後にサロメとヨカナーンがラブラブで踊っていて、え?何これサロメの見た夢?と思った。とてもすてきだった。
カナーンは劇中最後までサロメを拒絶し、手を握ることなく手首を掴んでいたけど、カーテンコールの最後のダンスでは手を取った。もしかしたら観客である自分が見て見たかったのかもしれない、ヨカナーンと結ばれるサロメを。

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