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ミュージカル アルジャーノンに花束を 2020 観劇感想

2020年10月27日、博品館劇場にてアルジャーノンに花束を 観劇。

アルジャーノンに花束を、2017年の再々演の公演を見てボロ泣きしたのがつい最近のようだけど、2020年の再・再々演さらに熱量がアップしていて最後にはボロボロに泣いてしまった。最高でした。

博品館劇場は2019年に見たハムレットぶりで、さらに主演の矢田悠祐さんの歌と演技を見るのもハムレットぶりで、なんだか不思議なご縁だなあなんて思ったりした。

以下感想です。

 

冒頭の歌「ぼくわかしこくなりたい」でもうウルっときてしまった。(早すぎる)原作を読んだのは遥か昔だけれど結末は知っているし、再々演の公演も見ているし、「アルジャーノンに花束を」という表題のすべてここに帰結するようなラストを知っていると、冒頭の歌でもう涙ぐんでしまう。

脚本・歌詞・演出の荻田浩一さんが
「決して良い話でも正しい話でもありません。
原作が上梓された時代の感覚も価値も知識も知恵も今とは異なります。
でも、人の良さも悪さも美しさも醜さも余り変わらないようです。そして闘いも。
これもまた闘う者の記録です。」
Twitterで書かれていた。

良い話でも正しい話でもない、そうだなあってしみじみ感じだ。見ている者ひとりひとりの中にある、何も特別ではない、素朴でありふれた差別意識を引きずり出す、突きつけられてぐるぐると考えざるを得なくなる、そういう作品だと思った。

ニーマー教授は自分たちの手術がチャーリィを人間にしてやったと言った。事実、周囲の人間は、チャーリィに対する態度を愛玩動物から自分を脅威にさらす人間へと変えていった。チャーリィは手術する前から人間だったのに。

チャーリィは手術を受けるときは僕が僕でなくなるときと歌った。それを良いことのように歌った。かしこくなる、望まれる姿になれるという希望として。

アリスは今よりもっと素晴らしい人になれると言った。素晴らしい人ってどういう人なんだろう。チャーリィはかしこくなりたいと願い、無茶な手術を受け、実際にかしこくなり、自分に知識を与えた者たちを遥かに上回る知能や知識を手に入れた。でもチャーリィの願いって読み書き計算を身につけることそのものじゃなくて、かしこくなれと願われそれを叶えなければ愛してもらえなかった(叶えられず愛されなかった)から、周囲の人に愛してほしい自分を好きになってほしいって、本当の願いはそっちだったはずなのに、かしこくなって周囲の人間が本当は自分を見下していた事をはっきり突きつけられ、自分もその見下す仕草を身に着けていった。

はじめは檻に入れてもらう権利がなかった、今は資格を失った。チャーリィにとって家から追い出された後に受け入れてくれたパン屋は、かしこくしてくれる手術をしてくれた研究者たちは、檻であり大切な命綱であり、自分はそこで愛玩動物や実験動物としていることが幸せだったのだと。知性を身に着け、周囲の人間を追い越すかしこさを手に入れ、「ふつう」の人間なら大人になる過程でゆっくりと飲み込んでいくだろう彼らの不誠実や無知を糾弾してしまい、知的障害者であった自分が「生きていていい」と許された場所を追われてしまった。

チャーリィにとって唯一同じ立場であり、友人でライバルで、初めて「ふつう」の人間らしい素朴な差別意識を向けた、鏡のような相手であるアルジャーノン。長澤風海さんが身体表現でアルジャーノンとしてそこにいて、チャーリィと対峙したり競争したり見守ったり、幼い頃のチャーリィの化身になったり、衰え暴れ苦しんだりすること、チャーリィにとってどれだけ大切で影響を与える存在だったかが痛いほどわかる。アルジャーノンの知性が失われる事が、チャーリィにとってどれだけ悲しくて激しい絶望だったか。

アリスはチャーリィがかしこくなっていく事で笑顔を失ったことを嘆いた。知能が低く、大人の男の身体でも他人に脅威を与えない存在に戻った。またパン屋で見下され笑われてもにこにこと笑顔でいるチャーリィ、それこそが周囲に笑顔をもたらしていたんだって。

でもその笑顔はチャーリィが本来尊重されるべき心や人格を他人に散々踏みにじられても誰かに愛されたくてそうしていただけで、踏みにじられることの無い立場のアリスが、そうやって見下されながらも笑い続けていたチャーリィの無害な笑顔こそを素晴らしいものだと肯定するのは、ある意味とても暴力的な事だなと思った。チャーリィ自身が納得していてあの頃こそが幸福だったのだと思ったとしても。

知能が衰えて昔のチャーリィに戻っていく過程で、アリスに対して常に哀れみはいらない情けはいらないと、言葉が覚束なくなっても絞り出して伝える。あらゆるものを、アリスの事さえ忘れてしまっても、またアリスに初めてあったときと同じようにかしこくなりたいって言う。対等に扱われたい、好きになってもらいたい、愛されたい。チャーリィの言うかしこくなりたいって頭が良くなりたいという意味ではない。

チャーリィが自分よりも馬鹿で愚鈍で脅威にならないから周囲に舐められて見下されていたときの、わかっていないから、もしくはわかっていてもそこにしか縋れる場所がないから、笑っているしかなかったチャーリィの事だけじゃなくて、たとえ笑顔を失っていても獲得した知能によって知的好奇心のままにあらゆる知識を詰め込んでいたときのチャーリィの事も誰か愛してはくれないの。

いや、フェイだけが、どんなチャーリィだったとしても面白いって好きでいたんだよな。笑ってなくても難しい本読んでても酔っぱらって子供のような言動になるチャーリィを見ても。でもその時のチャーリィがフェイに対してセックスができる女体として以外の、受け入れてくれるあたたかな肉体とは別の、どういう人間関係を構築して行きたかったのかはわからない。さみしがりや同士が言葉の交流や人間関係の構築すっ飛ばしてセックスして、ほんの少し傷を癒せたのかな。

もうこの際愛するとかどうでも良いんだ。チャーリィは手術を受ける前だって人間だった。その頃は虐げられても愛されたくて笑ってたんだ、人間として扱われたくて。手術を受けて知能が飛躍的に向上して、世界が自分にどれだけ冷笑的で嘲りを持って触れてくるものか知ってしまって、無知で無垢で笑顔でなんていられなくなった。傍から見たら嫌な奴になったのかもしれない。かしこくなって見直されて賃金も上がって、でも欲しかったものは手に入らない。

何も特別な意識ではなく、当たり前のようにそこにある素朴な差別意識が、チャーリィを人間扱いしなくたってずっと人間だったはず。無知で無垢で子供のような前向きな笑顔の時も、知識欲にあふれ雄弁で誤りや妥協を受け入れられない潔癖で少し冷淡な時も、どちらも本当のチャーリィでどちらも人間だったはず。御し易くニコニコとして害にならない存在だろうが、理路整然と間違いを指摘し無知さを見下してくる存在だろうが、どちらも本物のチャーリィだったはず。

チャーリィ本人が本物のチャーリィがどちらかと判断することはいいとして、アリスのような立場の人が、虐げられながらも笑顔でいたチャーリィこそが素晴らしい存在だったなんて言うのは恐ろしいと思う。知的障害者と接している人間として、研究者たちと関わる人間として、優生思想に反対する意識としての言葉だとは思う。けれど平等主義者のアリスであっても当たり前に抱えるありふれた差別意識(劣等感とも言えるかもしれない)が、かしこくなりたいと願ったチャーリィをそのままの無知で無垢で無害な存在であってほしいと願うエゴのようにも思えて苦しかった。

ラストシーン、もうずっと嗚咽をこらえながら涙で滲んでいる視界で必死にチャーリィを見ていた。自らウォレンの養護施設へ行くことを決め、裏庭のアルジャーノンのお墓にどうか何かのついででもいいから花束をそなえてやってくださいと言う。あの天使のような透明な、恨みも憎しみも怒りも何も見えないチャーリィの笑顔。つらかった。

ウォレンの養護施設、チャーリィの母親が行かせようとしていた施設、ニーマー教授が手術失敗の際に行かせようとしていた施設。はじめからチャーリィの行く末は決まってたのかも知れなくて、でもそこに行くまでの道をチャーリィは自分で選択できたのかも知れないと、ほんの少しの間だけかしこくなりたいという願いが叶ったのかもしれないと、夢を見たい、少しでも救われたい私のエゴが鏡のように反射してチャーリィがにっこりと笑って見えたのかもしれない。

チャーリィが自身の分身でもあるアルジャーノンに花束をそなえて欲しいと願う本当の心の内はわからない。チャーリィが人間として尊重されなかった人生にも、どうかたくさんの花束を贈られてほしい。花束のぶんだけ誰かが覚えていて想っているということだから。

2017年のアルジャーノンから3年、矢田ちゃんの歌声が凄みを増していて圧倒された。無垢で透明で無邪気な歌声も、深く雄弁でなめらかなビロードの様な歌声も、本当に素晴らしかった。歌がうまい事と歌で演じるのがうまい事って全く別物だと思ってるのだけど、彼は歌がうまいし歌で演じるのがめちゃくちゃうまいからミュージカルが最高に合ってるし見ていて楽しい!知性を徐々に獲得していく過程のチャーリィの姿や態度や声の変化が、歌っている時と歌っていない時の両方とも分離せずつながっている。歌唱部分と演技が分離せず同調していて継ぎ目がなくて整合性が取れてるって気持ちがいいよねって事を気づかせてくれた。
明るく楽しい希望に満ちた作品ではないけれど、感情を揺さぶられ思考を巡らせながら歌声や演技に酔いしれる、贅沢なひとときで心が満たされた。とてもとても楽しかった。

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