インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

『老ナルキソス』感想

主人公が絵本作家だからなのか、自己愛に満ちた人物だからか、はじまった瞬間から他人の酩酊の中にいるって感じがして不思議で面白かった。

 

老ナルキソスってタイトル、最後まで見るとすごく良いタイトルだなあと思った。作中でも説明があるようにナルキッソスギリシャ神話で水面に浮かぶ自分の姿に見とれてそのまま溺れ死んでしまう美少年だ。

主人公のヤマザキは頑固で偏屈なゲイの老人で絵本作家、美意識が高いナルシシストで、自分が見下せる相手から痛めつけられるのを好んでいる。ヤマザキが何度も何度も暗闇の中で水面を見つめてはうずくまったり、水の中に落ちて溺れる描写があって、何度も何度も自分を見つめては今の自分の姿を受け入れられない、年老いた自己愛の男の自己否定と、美しいまま溺れて死んでしまいたかった諦念を感じた。

もう一人の主役ウリセンボーイのレオとのやりとり、プレイやら性行為やらをする中で、ヤマザキがレオに傾倒していくのは、そこに若くて美しかった頃の自分を見てるからなのかな。

ヤマザキ前立腺がんを患って、医者に70歳以上の人はだいたい男性機能を諦めるよ(放射線治療やホルモン治療しなよ)って言われても拒否するのは、まだ男とセックスしたいという性欲の問題なのか、機能そのものがアイデンティティになってるのか、どうなんだろう。老いと病気、若さと健康(≒性欲)みたいな対比なのか、失われるものへの抗いなんだろうか。

絵本作家ヤマザキの担当のエコダはヤマザキと長い付き合いで、スランプ中のヤマザキの痛い所をズバズバついてくる軽快な言葉のやり取りが好きだった。「あなたの恋人はあなただけ」って台詞が印象的で、恋人や夫婦にはなれなかった(エコダにその気はあったがそうはならなかった)このふたりだが、エコダはヤマザキの理解者ではあるのだろうなと思った。

ガンの進行でもう時間がなくなってきたヤマザキが、元恋人に会いにレオと車で旅をするところ。鮮やかなピンクのシャツを着たヤマザキがいいなあと思った。自由さのようで鎧にも見えた。いつもスカーフを巻いておしゃれだったけどこの鮮やかなピンクは、元恋人に会うのに少しでも当時の自分に近付くための装備なんだろうなと。ヤマザキの父親へのコンプレックス、野球を教え込まれ、絵を描いてることがバレたら罵られ、男らしく有ることを強要されてきて、家族としてうまく行かず、家を出てゲイの友人や恋人と過ごして自由になれたと思ったら父が倒れて家に戻され、父が死んでやっと自由になれたと笑う。レオは父親が自殺してしまって母親に育てられたが折り合いが悪く、たとえどんな父親だとしても居て欲しかったと、ヤマザキを含めて年上の男性といるとホッとするのは父親を重ねてるからだと。

このふたりの重ならなさと、それでも似通っている所とが、良い悪いは別として、強制的に自分を見つめ直して人生に変革を与える嵐みたいな出会いだったんだなと思った。

ヤマザキの元恋人が結婚して子供と孫までできていて、それでもアプリで老け専のゲイと会っては色々やってるようだった。以前とある本の発行イベントでゲイ当事者の方が話していたが、皆婚社会が終わり、恋愛至上主義が広がり、同性婚やパートナーシップ制度が出来たことで、ゲイ男性のライフコースの主流はかつての「女性と結婚し、 ときどき男性と浮気」から「男性の恋人との永続的な関係」 へと変わってきていると。

レオは恋人がいるし、その恋人はパートナーシップ制度を利用して家族になりたいと考えてるが、レオは家族というものに猜疑心があり躊躇している。ヤマザキの旧友は独り身のゲイ達と定期的に持ち寄りの食事会を主催している。シスヘテロにも様々な生き方があるようにゲイにも様々な生き方があるけれど、個々人の在り方だけじゃなく社会が変わることでの生まれる変化も当然あるだろうなと思う。

役所のシーンが良い味を出してるなあと思った。パートナーシップ制度の説明をする役所の人の明るくて"配慮"した話し方、細々とした説明のときも、制度を利用することになったときも、なんだろう、"大丈夫ですよ""私達はあなた方に配慮してますよ"っていう空回りした白々しさと言うか。マジョリティから気を使われているってのが筒抜けの空気感の可笑しさみたいなのが、知らないはずなのにリアリティがあって良かった。パートナーシップ制度だけじゃなくて、養子縁組、里親制度についても省くことなく描いていて、更に言うと性行為の準備(シャワーで尻を洗ったりゴムをつけたり潤滑剤を使ったり)もきちんと省かずに描いてて、これは監督のこだわりなんだなあと思った。フィクションではあるけど同性愛表象をリアリティのないファンタジーにはしないぞっていう。

旅の途中でヤマザキが裸で踊るシーンがある。終盤でもヤマザキが満開の桜のもとで踊るシーンがとても印象的だ。旅の途中のシーンは、それを見ている時点ではなんだかよく分からなかったが、最後まで見るとあれは絵本にあった王冠のようなトサカを大きく大きく見せた雄鶏のダンスだったのかなと思う。それを見ているレオは雄鶏のカゲだったのかなと。そして桜のもとで自由自在に踊っているヤマザキは、世界から消え去るように透明になったけれど太陽に照らされてその涙が虹色に光る雄鶏だったのかなと思う。

最後にヤマザキが凝りもせずアプリで若い男をひっかけておしゃれして出ていくの、うわ〜(笑)と思ったけど同時に元気も出た。老いも病気もスランプもあるけど、欲望もある。性欲に限らず、何かを求める欲望って多分生きてるってことだから。懲りずにきちんと自分を愛して生きていく偏屈で嫌われ者のゲイの老人、社会に自分を今すぐ助けてくれるような希望があるわけじゃないけど、別にそのせいで死んでやったり大人しくなってやったりしなくて、めちゃくちゃ元気が出た。

R-12でそれなりに性描写があるんだけど、あのキラキラと明るくて夢の中のような幻想的な乱交シーンを見てほしい。美しいしみんな幸せそうで、青春の思い出としてのシーンだけど、だからこそ対比的に映るどうにもならない現実のままならなさと、それでも案外たくましく、不幸なんぞにならずに生きていく自己愛に満ちたゲイの姿がすごく良いので。

片袖の魚が好きなので老ナルキソスも見てみたけど、見てよかった〜!