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ふるあめりかに袖はぬらさじ 観劇感想

2022年6月15日、歌舞伎座にて、ふるあめりかに袖はぬらさじを観劇。

いつか見たいと思っていた作品が、本当に偶然(六月大歌舞伎第三部の急遽演目変更により)見られることになって、チケットを確保した。見られてとっても嬉しかった!

有吉佐和子作ふるあめりかに袖はぬらさじは、昭和47年文学座杉村春子さんがお園を演じたのが初演で、昭和63年9月に玉三郎さんがお園を引き継いだのが歌舞伎版の初演とのこと。生まれる前から愛され続けてきた作品が、今もまだこれほど鮮やかに、良くも悪くも現代に通じる感覚のストーリーとして浮き上がってくるというのがすごく面白かった。

今まで坂東玉三郎の演じる役を何作か見てきた。伽羅先代萩の政岡や楊貴妃桜姫東文章四谷怪談のお岩や道成寺とか有名ドコロばかりだけど。今まで見てきた磨き上げられた美しさのそれとはまるで印象の違う、魅力あふれる役でとても楽しかった!

 

お園の、口から生まれてきたみたいな、喋りだしたら全然止まらない調子のいい話しぶり、酒が大好きでお客からも酒をねだるほど、飲み過ぎては余計な事まで口を滑らせ失敗するほどの飲兵衛で、親しい人にはどこまでも親身になっておせっかいを焼いて、ちゃきちゃきとした気風のいい芸者姿。全幕通して喋り倒していて圧倒された。

幕末の日本の外国人差別セックスワーカー差別、都合のいいデマが流布してしまう怖さがコメディータッチに描かれてるんだけど、作品自体が笑っている客に、笑い事ではないことをきちんと突きつけて来るのが良い。いや突きつけるというほど厳しく批判的でもないが、コメディではあるけどどこまでも哀れで物悲しいラストが、笑っていた客達に考えさせる力があると思う。

日本人口の遊女と唐人口の遊女の違い、見ていておぞましかった。唐人口遊女の安っぽく派手派手しく飾られた衣装や化粧。所作に教養や淑やかさや気品を叩き込まれた日本人用の花魁とはまるで違う、見様見真似か諦念かやけっぱちかのような投げやりでわざとらしい身のこなし、なり手が居ないから店主が無理やりかき集めて、金払いが悪く嫌々商売してやっている相手である外国人にあてがう為の、みすぼらしいセックスワーカー。日本人用に用意された遊女や芸者と明らかに様子の違う姿で描かれていて、それをさあ笑ってくださいとコメディとして表現されて苦しかった。唐人口遊女は誰も相手をしたがらない外国人の相手をさせられて、更にその事実によって日本人からひどい差別に合うんだ。マリア役の伊藤みどりさんの、私だってねえ大和撫子なんだよ!ってイルウスの足を踏みながらブチ切れる演技すごく良かった。

お園が大事にしてきた花魁亀遊が、自分の恋が実らないどうにもならなさで自殺した事も、その事実を知っていながらその場しのぎに攘夷女郎として死んだというデマに加担したことも、亀遊と相愛であった藤吉がデマであることを知りながら自分のせいで死んだと思うより気が楽になって留学に旅立つことも、外の世界には行きようのないお園が廓の女として生きていく為にさらにデマを流布していく事も、全部がかなしい。小気味のいい会話でどんどんと展開していくのに、全部が悲しかった。

数年後の場面、お園による亀遊の攘夷女郎譚にはさらに演出がかって、もう何度となく話し尽くし演じ尽くされてきたのがわかる。それでも、湯飲み茶碗に並々と酒が用意されてそれを飲んで酩酊しなければ、亀遊を裏切るようなこんな酷い作り話をできないのは変わらない。

最後の最後、お園が、全部本当だよ!本当なんだよ!って這いつくばったあと、全部うそさ、嘘っぱちだよって言うの、あのシーンの静けさ、雨音だけが響いてて悲しくてたまらなかった。全部本当ってのも全部うそってのも、嘘だって、もうずっと見てた観客とお園にしかわからない。

亀遊が攘夷女郎に仕立てられたデマがいつまで経っても消え去らずお園を苛んで、自業自得ではあるけどそう単純に言い切れない。廓の外には出られない、外の世界では生きられない女の話だからだ。素面じゃいられず延々と酒を飲んで、罪悪感に潰れそうになりながら生きて、酩酊の中で本当と嘘が混沌として、攘夷党からの口止め料の金を懐に抱いて、そういう生き汚い生き様が良い。

お園はこれからも一生こうして苦しんで生きるんだ。一生、亀遊を埋葬した時の、亀遊が沼の中に落ちていくドポンって音を何度も思い返しながら、その唯一の事実をデマで塗りつぶした罪を償えもせず、死ねもせず、苦しんで生きる。悲恋も死別も差別もデマもコメディで包んで苦しみを描くんだな。

玉様、ふるあめりかに袖はぬらさじのお園を昭和63年から演じてらっしゃるの、本当に凄まじい。傾国を多く演じてきたであろう坂東玉三郎が、美しいわけではない、美しくあってはいけない役を演じるとこうなるんだ。凄まじい。新派とも通ずる劇で、所謂旧派の歌舞伎よりもずっと差別も生き様も生々しい。

この生々しさって時代性もだけど、差別をきちんと差別として表現している批判性が作中にあるからこその生々しさだなと思う。歌舞伎の場合、女の扱いがどれだけ差別的でひどくても、まあそういう時代の作品ですからわかるでしょ?ご容赦くださいってノリだしそういう物として見てるとこあるし。

坂東玉三郎片岡仁左衛門コンビによる36年ぶり桜姫東文章以降、シネマ歌舞伎や配信でもたくさんお二人の共演作を見る機会があって楽しくありがたいな〜と思っていて、ふるあめりかに袖はぬらさじもいつか見たいと思っていた所で見られたのは本当に嬉しかった!