2024年8月22日、歌舞伎座にて八月納涼歌舞伎『狐花』を観劇。
京極夏彦先生が初めて歌舞伎の舞台化のために書き下ろした『狐花 葉不見冥府路行』、7月に原作小説が発売されたばかりという新作歌舞伎の中でもかなり目新しい試みでめちゃくちゃ楽しみでした!
京極歌舞伎、静かなラストシーンがあまりにも美しくて哀しかった。復讐は何も生まないとかじゃなくて憎しみがないわけでもなくて、心を寄せるも私刑を肯定しないのは余計な縁を結ばないためか、力に伴う責任か。江戸時代の話だけど現代的価値観もうかがえる新作。
序幕から美しく目を引くシーン、表題にある狐花が咲き乱れて二人の男の問答が始まる。暗闇に真っ赤な彼岸花、黒衣の中禪寺洲齋と彼岸花柄の着物を着た萩之介が浮かび上がるさまが本当に目に鮮やかで美しい。問答の場面は時間の流れが行き来するので、そのあとの過去シーンを見ながら序盤の問答を脳裏で振り返ってなぜこの問答に至ったのかを考えるのが楽しかった。
七之助さん演じるお葉と萩之介、歌舞伎では一人の役者が複数の違う役を演じるのは普通なのでまさか本当に作中でも同一人物だとは思わず叙述トリックじゃん!ってなった。面白かった。お葉から萩之介への早替えが見事すぎて感動、素晴らしかった。
勘九郎さんの上月監物、非道の限りを尽くす本当にどうしようもない悪役でよかった。染五郎くん演じる的場佐平次を兄弟として主従として共犯者として目をかけてやってるのかと思いきや簡単に殺した場面は、自分以外の何物も永遠にそばには置けない人間になってしまった、自分で自分をそうしてしまったんだなと思った。
狐花、死人花、幽霊花、火事花、捨子花、彼岸花の別名になぞらえた様々なエピソードと登場人物が絡み合っていく。だんまりのシーンは暗闇でお互い見えないなかにじり寄り離れていく中で、親の悪事と娘の悪事が見えない糸で絡まり合ってその中心に萩之介がいて、上月監物の最初の悪虐へと繋がっていくのがゾワッとして面白かった。
監物と的場の政治的共犯関係な兄弟のあまりにも簡単に切れてしまうつながりと、萩之介と雪乃そして中禪寺洲齋との散り散りに引き裂かれても導かれるように最後に繋がりあった兄弟たちの対比。過去こそが憑き物であると中禪寺洲齋が言ったが、監物の殺戮と略奪によって伸し上がってきた過去が他人を信じるという安寧を捨てさせ、奪ってまで手に入れた妻と娘との繋がりをも自分で断つ羽目になったのかと思うと、萩之介の復讐という私刑による死ではなく然るべき裁きを受けよという結末は同情こそあるが優しさではないのかもしれない。
おもしろかった〜!新作歌舞伎がなんの憂いもなく面白いのはうれしい。今後も続いてほしいと素直に思える作品でうれしかった。京極歌舞伎、続編を期待してます!
以下、狐花とは無関係なつらつらと考えてたこと。
歌舞伎って美しいし面白いし大好きなんだけどめちゃくちゃ男社会だなと思うしちょっと女が出演したくらいで叩く人が出てくるの嫌だし色々思うところもあって、木ノ下歌舞伎の古典への批判性を伴う新解釈とかは本来松竹がやるべき部分もあるだろと思う。イヤホンガイド解説員には女性もいるけど本当はどう思ってるんだろう。古典作品に現代的視点を入れろってんじゃなくてフライヤーの作品解説やイヤホンガイドでの解説に当時の社会情勢や差別構造についての説明を入れるだけでもぜんぜん違うとは思わないのかなとか。そういう試行錯誤もなしにいくらでも安価なエンタメがある今歌舞伎が若い人たちに開けていくとは思えない。今回の新作歌舞伎 狐花は非常に見やすくて面白かったけど、古典の時から考えてないから差別意識が露呈した新作が生まれたりするのでは?という疑念がどうしてもある。
私は桜姫東文章が好きだけど、当時の社会規範から見てかなりアバンギャルドな人物像だし社会に対して反抗的な人間として桜姫が描かれてるのにあまり感じさせてくれないよね、木ノ下歌舞伎の桜姫はフェミニズム的に描いてたし家父長制に中指立てる感じで、古典でもそういう面白みの部分を解説できるはず。
これからもいま面白いと思える歌舞伎が見たいなと思う。それは古典も新作も。