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HiGH&LOW THE WORST Xを見た感想 子供の箱庭と献身性と身体言語について

以前、『ハイロー初心者のオタクが初めてHiGH&LOW THE WORSTを見に行った感想』という記事を投稿した。

 

inclusionbox.hatenablog.com

 

元々私はテニスの王子様のオタクで、フォロイーの『村山良樹が天衣無縫の極みである』というツイートをきっかけに、ハイローシリーズを全く知らずにスピンオフであるザワを見たわけだが、シンプルにエンタメとしてめちゃくちゃ面白いのに食わず嫌いだったな〜と思い知らされた。初見の感想ほどの旨みはないだろうが、今回、HiGH&LOW THE WORST Xを見たので感想を書いておこうと思う。

花岡楓士雄が光の速さで男達を落としていく陽のパワーが相変わらずすごいんだけど、ザワと比べて違うのは完全に子供達の箱庭の中の出来事として世界観の規模が小さくなった事で(悪い意味でなく)、天下井のやり口見てもわかるけど、子供なりの秩序と抵抗が可愛いんだ。悪事も暴力も悪い大人の真似事しかできないなりに虚勢を張って社会に抵抗してみせるんだけど、いびつで弱くていとけないから、可哀想で可愛いんだよね。でもザワもクロスも拳はコミュニケーションだから、そうやって少しずつ何とかなっていく。前作で大人になった村山が守ろうとした箱庭の中で。

ザワでは村山良樹の天衣無縫性を見つめていたんだけど、ザワクロでは花岡楓士雄の天衣無縫性を見つめる事になった。楓士雄はその天真爛漫な猪突猛進さだけではどうにもならない事に直面し、真剣に思い悩むんだけれど、それを解決するのもまた結局は己の天衣無縫性だったのが面白かった。楓士雄がラオウに今度タイマン頼むわ、誰にも迷惑かけずに喧嘩しようって誘うのはまさにそういう事だなと思う。そして子供の箱庭の中だからできることでもある。

今回司がめちゃくちゃ物語のキーになってて驚いた。司が楓士雄に非常に重要な台詞を言うけど、楓士雄は司を失いかけてからその言葉についてきちんと向き合い始めるわけで、須嵜と天下井の関係性とある意味紙一重。でも全く異なる意見を持つ司が考えろと言って、楓士雄は考えて答えを出したので、ぶつかり合うことを恐れないのが明確な違いだ。天衣無縫的の楓士雄の隣にいるのが、才気煥発的な冷静でクレバーな司なのはよくできてるなあと思う。あと、眠れる獅子って言われてたのはこういう事ね、ってくらいのぶちのめすと決めたらのお前を必ずぶちのめす、という狂気じみた執念が見られて楽しかった。一時は熱を失って抜け殻のようになっていた司も、花岡楓士雄という相棒の確かな熱源があればどこまでも強靭になるんだなあと。

ザワもクロスも花岡楓士雄が魅力的じゃなきゃ絶対に成立しない展開で、周囲が彼にガンガン絆されていくのを見ていく作品なんだけど、クロスは明確に"村山がいなくなった後の鬼邪高"の姿で、心強くもあり少し寂しさもあり、ハイローの本編軸とはある一定の距離で隔絶された世界だった。これはある意味で村山が望んで隔絶し、隔離し、守った鬼邪高でもあると思う。子供達を子供達の箱庭の中で過ごさせること。ザワで村山が轟に望んだものの一端を、クロスでの轟は自分自身の手で掴んでいて、村山のいない鬼邪高がきちんと轟の居場所になってて、ちょっと寂しいけど嬉しくもあった。轟が結構しゃべるようになったのが最初は違和感あったんだけど、言葉を尽くすというコストを支払ってでもコミュニケーションを取る事をしてもいいと思う相手ができてそういう時間を過ごせたのかもしれない。村山への執着から解き放たれてザワの時よりも明確に仲間への親愛を表現するようになっていて、すくすく育てよって気持ち。だからこそ、楓士雄が頭下げたときの轟の動揺は、また自分は力不足で必要とされないのかっていうトラウマ思い出してたんじゃないかな。

ザワクロ要所要所でキャラに台詞で説明させすぎではあるんだけど、喧嘩シーンやBGMに合わせて男達が思案顔してるシーンを長回ししたいので時短しますって感じなのである程度しょうがないと受け取った。でも辻と芝マンの喧嘩シーンの尺はもっと取れ!風神雷神もあんなゴリゴリなんだからいいシーン取れただろ!辻と芝マンおよび轟の対戦相手はかつてテニミュ六角中黒羽春風を演じてたんですよ、あの頃より更にムキムキでゴリゴリ強そうで良かった。

噂の須嵜と天下井はあ〜これはわかりました!ってなった。この世にたった一人の特別な相手のために一緒に地獄に落ちてくれるタイプの男の献身と、その献身に全く気が付かない男。わかりました。

この世界って喧嘩やタイマンは身体言語によるコミュニケーションなので拳で大体解決するし、肉体の距離がそのまま心の距離なんだけど、須嵜と天下井は作中でずっとつかず離れずで触れ合わない。お互いに想いはあるのに言語化できず、身体言語での解決もしない。最後の最後にやっとお互いにお互いをどう思ってたのかがわかって、涙を拭ってあげる時にだけようやく触れ合う。須嵜と天下井、身体言語が優勢なこの世界の中でめちゃくちゃ異質だ。あの司でさえ楓士雄とタイマンしにいって肉体と心の距離を無理やり近づけて、それを糧に離れ離れになったのに。

須嵜と司って結構似てる気がする、その献身の在り方が。司も自分の特別な男が楓士雄じゃなかったら相手と一緒に地獄まで落ちてくれるタイプの男でしょ。でも相手が天下井みたいに脆くもなければ到底地獄に落ちるタイプでもなくて、逆に自分を強引に引き上げてくるタイプだからそうはならなかった。

須嵜の献身性について、『命令だから従う』のと『貴方の望みを共に叶えたいからそうする』って事は別物なんだけど、天下井はその違いがわからない。他人を信じるという恐怖の先にしかそれを見極めるすべがないから。だから須嵜は、天下井に信じてもらう為には絶対に倒れる事はできなかったんだろうな。

須嵜と天下井、本当にザワの住人と思えない繊細さの持ち主で可愛い。お互いに大切なのに、どうしたら大切にできるのかわからない二人の少年のもだもだなんだよ。ぶつかり合って壊れたらもう二度と元に戻せないのが怖くて、この世界では当たり前のコミュニケーションである喧嘩すらできない二人。天下井自体が暴力に慣れてなくてやりすぎる危うさがあるし(まあ暴力の痛みを指を折られるという形で司が教えてあげた訳だが)、多分今後もこの二人は殴り合いしなさそう。

身体言語といえば、天下井の視線や声色の惑い感がとても良かった。ビジュアル的な部分でも、天下井と須嵜って顔の造作や髪色なんかも対比的に選ばれてるし作られてるなと思う。天下井は瞳がまんまるで顎を上げてるから光がよく入るんだけど、ビー玉みたいに無機質に光る時と、期待と失望とに心が揺れてそれに呼応して光が揺れてる時の違いがよくわかる。天下井の最悪さはそりゃもう最悪なんだけど、心を折られまくった末の自己防衛にも見えてしまって憎みきれない。逆に須嵜は切れ長の目で顎を引いて伏し目がちだからあまり目に光が入らない。物思いに耽っていても何を思ってるのかがわかりにくい。でも天下井のナイフを素手で掴んで止めた時、天下井を見上げた時に瞳にいっぱいの光が差して、無色透明で真っ直ぐな想いがあふれ出す。天下井の虚勢を貫くくらいに。意図してそうなったのか偶然そうなったのかわからないけど、絵的にも非常に説得力があって美しかった。

映画を見たあと、ツイッターで流れてきたインタビューの中で、天下井の中の人が須嵜へのすがるような思いがあったって話してたけど、言葉ではなく身体言語によって誰にも明かせない心の内が観客だけにめちゃくちゃ伝わってしまう。こちらとしては須嵜に伝わって欲しいんだけど、須嵜は須嵜で天下井への想いを心の内に秘めてるしな。当たり前な感想だけど役者さんてすごいなあ。

ザワクロで鈴蘭のラオウがついにお目見えして、なんかすごいベタなキャラなんだけどこんなん嫌いな人いないだろ!って感じで良いよな〜好き。あとあんな厳つくて喧嘩しまくってる不良校の名前が可愛らしい鈴蘭で、校章も鈴蘭の花があしらわれてて可愛い。でも鈴蘭の花は毒があるからね、いいよね。

あと泰清がウテナみたいなことやってるって聞いて楽しみにしてたら本当に少女漫画か?って展開になってて最高にブチ上がったな。

ザワクロめちゃくちゃ面白かった!友人がハイローって古今東西のワル顔俳優を散りばめまくっていて令和の任侠映画だよねと言っていたが、私はどこか時代劇的でもあるなと思う。