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『ナイツ・テイルー騎士物語ー』(2021年再演) 観劇感想

2021年10月25日、帝国劇場にてミュージカル『ナイツ・テイルー騎士物語ー』昼公演を観劇。

コロナ禍で観劇に対するフットワークが死ぬほど重くなり、感想すらまともに表現できなくなって、なかなか心が上向かない日々が続いてる中、正直当日席についても隣や後ろの客席の喋り声が気になってこんな状態で楽しめるのか不安があった。(スタッフさんがお喋りをしないように声掛けしながら歩いてるのに我関せずでおしゃべりする御婦人方の多いこと……)でも始まったらやっぱりとても楽しくて、ミュージカルって心がワクワクして幸せだなあと思えて、それだけで嬉しかった。

※11/4にまた観劇して、いろいろ追記しました!

 

以下ネタバレ感想

 

前回のナイツテイルではなかったのに、急に岸祐二さんのめちゃくちゃ良い声の前アナがはじまって面白すぎた。

初演の時もシンフォニックコンサートの時も思ったけど、ナイツテイルの楽曲がとても好きで、耳に残るいい曲ばかりなので(サントラほしい)、大好きな曲がメドレーになってオーケストラが高鳴ってくのが本当にワクワクして最高だった。舞台美術もシンプルかつ美しくてすごく好みで、見るたびに見とれてしまう。森に聖なる牡鹿が現れるシーンや演者が花を投げて花畑を生み出すシーン、何度見ても大好き。

"さあ描いて鎧を馬 剣、さあ描いて女と男の戦い、さあ描いて降りそそぐ矢の雨"って歌詞が好きなんだよなあ。観客であるあなたが紡いで、描いて、血みどろの残酷な戦争を、人と人の愛と尊敬を、守られるべき人間の尊厳を、物語を想像して創造して。あなた達の目を心を考える力を信用していると、言ってもらえてる気がして。

この世界は神々がいた頃のはるか昔でありギリシャアテネ・テーベであり、現代社会でもある。

クリオン(テーベ)との戦争で夫王を亡くしその死体も嬲られ尊厳を踏みにじられた3人の王女の嘆きを、シーシアスがどう受け取るのか審判の目で見るヒポリタ。ヒポリタのあの強い眼差しが好きだ。アマゾネスの女王であったヒポリタが、シーシアスとの戦いに負け奴隷であり妻として扱われることの苦悩、自分が男であれば捕虜として一生投獄されていた事と比べるとどれだけ良い扱いかと思いながらも愛する妹たちとの別れに心引き裂かれ、それでも気高く目の前の男を己の眼で見定めようとする力強さが好きだ。

兄王シーシアスから結婚や子供の話をふられると、エミーリアは身を怒りで震わせながら誰が子供を生みたいと思うの、こんな世界でと嘆く。争い殺戮憎悪に満ちた世界で、兄にあてがわれた男と結婚や出産をするくらいなら、神に身を捧げるほうが自分らしくいられると叫ぶ。エミーリアとヒポリタの、己の意思を尊厳を踏みにじろうとする社会に対して抗う姿が本当に心強くて大好き。

光一さんのアーサイトが初演時よりグイグイ行く感じが増しててギャグ感が強くなってた。どんだけ高貴な出自の見目の麗しい男でもキモいこと言ったりやったりしたら普通にキモいってのを体張って大げさにやってくれるのと、それに対して音月桂さんのエミーリアがハッキリとドン引きで拒否するのでぎりぎりコメディとなってるのかな〜と思う。物語の中できちんとあれはナシだと言わないとギャグにすらならない。

アーサイトの新曲「贈り物」、演出のジョンにこの曲でウインクしろって言われてたのは知ってたし、ファンにウインクというよりほぼ瞬き、でも上達していってて悲しいって言われてるのも知ってたんだけど、先日の観劇で確認できなかったので今日双眼鏡で見た!確かにほぼ瞬きで笑ったし、本人はできた!って感じにガッツポーズしてんの面白かった。

牢番の娘フラヴィーナの手助けによって牢屋から出た事を話したパラモンに「うまくやったな」と言うアーサイトの言葉が、以前はいやらしいな〜嫌なやつだなと思ってたんだけど、今回見たらパラモンがフラヴィーナに対して惹かれ始めてる、何かもの思いに耽ってることに、パラモン本人よりも先にアーサイトが気がついてるって事かなと感じられて面白かった。

シーシアスとエミーリアとヒポリタの三人の曲「妹よ」がいいよな。シーシアスはアテネの戦争や生死をかけた昇級の蔓延る男性社会を憂い、祝祭の宴の出し物に男女平等を課す賢王のようでいて、妹には掟を守れ結婚しろと言う。若く世間知らずな妹よって見当違いな説教しだすシーシアスに、夫も忠告もいらねえ自由に生きさせろ!!!ってブチ切れるエミーリア最高だし、時代遅れ!!!ってブチ切れるヒポリタ様が最高。

今回観劇していて、クリオンの亡霊、その呪いについて考えた。アーサイトもパラモンも、自分の伯父であり従わざるを得ない王であるクリオンの謀略に憤りつつも、戦争略奪殺戮に加担していく。自分自身にとっての名誉とは、騎士とは、何なんだろうと自問自答しながら。

その後牢獄の窓からエミーリアの後ろ姿を見る。(柵に前足を乗せて並んだ小型犬と大型犬みたいな格好で)シェイクスピアあるあるの一瞬で恋に落ちる。で、自分が彼女を愛するだなんだとエミーリアに出会ってすらいないのに彼女を無視して勝手に奪い合う。エミーリアの後ろ姿に、牢屋の中で失われた自由を、自分たちにあるべき(と勘違いした)恋愛や結婚や子供を見る。互いに尊敬し愛していた従兄弟であるアーサイトとパラモンが、相手を殺してでも自分がエミーリアと結婚することが"名誉ある華麗な人生"なのだと。

これこそ、クリオンの亡霊であり呪いなんじゃないかなと思う。古き慣習、こうあるべきという思い込み、圧力、しがらみ。ナイツテイルは、そこから抜け出して自分の自由な心と向き合って生きていく選択をするための物語。

アーサイトはフィロストレイトと名を偽りエミーリアの従者となる。エミーリアはアーサイトだと気がつくが、もしかしてパラモンを助けに来たんじゃないかと想像し、その友愛の精神に心打たれて黙っている。エミーリアは最愛の友フラヴィーナと再会し、愛を確かめ合う。そして顔はいいのに言動は最低な男たちアーサイトとパラモンを何故だが愛してしまった自分たちを嘆く。

あの男達が愛しているのは水仙ナルシサスのように互いに映る自分だと、エミーリアを勝利のトロフィーにした馬鹿げた死闘を(男たちにとってだけ意味があり名誉であるかのような幻想を)ヒポリタ・エミーリア・フラヴィーナの3人でぶち壊し目を覚まさせることを決意する。

ナルシサスのように互いの中にある名誉の泉に映る自分を愛するアーサイトとパラモンと、その二人に自己愛を見出すシーシアスは、クリオンの亡霊とイコールなんだよな。

アーサイトもパラモンもあんなに毛嫌いしていたはずの、名誉とは真逆の汚れ辱めと感じていたクリオンの振る舞い、暴虐、他人の尊厳を踏みにじることを是とする在り方を、知らずに身に着けそうあるべきと振る舞うようになってしまう。愛し合う自分たちが殺し合うのは殺戮の償いか、と一瞬よぎる(それも自己愛的だけど)のに、この死で気高くなる!と亡霊に洗脳されているかのように偽りの(あるいは古の)名誉に従う。

アーサイトとパラモンの戦いが終わり、アーサイトが勝利して、エミーリアと結婚する権利を得たアーサイトが一番喜んでいてもおかしくないだろうに、こうなってしまってからやっと、最愛の従兄弟を失ってでもエミーリアと結婚することが本当に自分にとっての幸福で名誉で騎士らしい振る舞いなのか、いや違うと、自分で自分の心の望むこと(望まないこと)を理解する。やっと、エミーリアが何を言わんとしていたのかに、自分が目をそらし続けて見ようとしなかったものに気がつく。睨んでばかりの戦神マルスではなく愛の女神ヴィーナスに目を向け、いやむしろ新たに知恵の女神アテナを信仰していこうと言うエミーリアやヒポリタの言葉を最後の最後でやっと理解する。

初演時に見た異性愛エンドしなくてよくない?って感想を今更噛み締めまくってるんだけど、女同士男同士の恋しさや愛しさや深い絆や嫉妬や憎しみや苦しみや慈しみや永遠の誓いや触れ合いをこれだけ鮮やかに詳しく描きながら恋愛とはせず、男女ならばなんの深い説明も交流も触れ合いもなく一瞬の邂逅を恋愛とするんだよな。もう最後の取って付けたような異性愛いらないよね?って気持ちにはなる。(アーサイト、パラモン、エミーリア、フラヴィーナ、どうしても結婚するならもう4人で結婚しなよ。というか実質4人で結婚したよね?)

けど、今回初演時ほど安易な異性愛エンドヤダな〜って感じにならなかったのは、エミーリアとフラヴィーナがより強かになったのと、エミーリアがアーサイトに対して明確に、アーサイトが勝者へのトロフィーとしての女(エミーリア)じゃなく愛情(パラモンの命)を選んだ事を評価したのがわかりやすくなったからかな。アーサイトが、パラモンが成長を見せたから、愛せるかもしれないと思ったのかなと。

ナイツテイルは女性陣がめちゃくちゃ好きで、ヒポリタもエミーリアもフラヴィーナも、男達よ私達の意思を尊厳を無視して女性性の呪いをかけてくるのはやめろ!って怒り散らすのが気持ちいいし、あなた達も男性性の呪いを自分達でかけあって苦しむのはやめて自由になろうって語りかけるのも好きなんだ。元気が出る。

原作の"ふたりの貴公子"と"騎士の話"読んだことないけど、パラモンとの勝負に勝つけどパラモンにエミーリアとの結婚を譲って死ぬはずのアーサイトを、生かしてエミーリアと結婚させるし、パラモンには彼に恋した牢番の娘と結婚させる物語に改変したの超パワフルな二次創作って感じだし、女だからというだけで尊厳を簡単に踏みにじられることに正面からブチ切れまくるお姫様たち、トロフィー化される女を否定する物語になってるのはめちゃくちゃ現代的なんだよな。シェイクスピアやチョーサーやフレッチャーが現代を生き現代に描いたなら、という二次創作なんだよねナイツテイル。

死と結婚で物語を締めくくった悲喜劇から死を取り払い尊厳の回帰をしていくの面白いけど、最後は結婚ってのはやっぱりシェイクスピアリスペクトな感じなんだろうと思う。でも初演時よりはエミーリアはアーサイトに割と恋してたし、パラモンもフラヴィーナに恋してたよね。エミーリアにアーサイトのどこが好きなの?って聞いたら渋い顔してため息つきながら「顔」って言いそうなところが好き。

今回、楽曲が身体に馴染むと物語が感覚的に理解できるようになってくるな〜と思った。「騎士物語」「三人の王妃」「フラヴィーナ」「牢番の娘の嘆き」「悲劇の姫」「森の歌」ナイツテイルは同じメロディで歌詞を少し変えて歌われるシーンが多く出てくるから。

「森の歌」牧神パンと花の女神フローラの演目は生死感が独特で面白い。"束の間に咲く人生 花のように、現れすぐ消える 死は目の前に"死はすぐ目の前にあるから、今を生きようと歌う。絶望で気が狂ったように踊るフローラ役のフラヴィーナは、心を失ってまるで死者のようでもある。そしてエミーリアにとっては、死んだと思っていた最愛の友が冥府から帰ってきたシーンでもある。後に出てくる「森の歌」のリプリーゼ、アーサイトとパラモンいずれかの死が目の前に迫っているシーンであり、それはエミーリアの尊厳の死とも、フラヴィーナの恋の死ともイコールだ。死は目の前にある、尊厳のある生を取り戻そうと歌っているんだな。

初演時はフラヴィーナがか弱い少女って感じがあったんだけど、今めちゃくちゃ強いので、そこも良かった。パラモンの弱さや思案しがちな迷いがちな所が引き立つ。フラヴィーナのか弱い少女性を消費する感じが減った分、パラモンとフラヴィーナが結ばれたときの大人と子供感が減ったのが個人的に良い。パンフレットで萌音ちゃんが初演時より5歳年上を目指すと語っていてその通りになってるなと思った。

ナイツテイル好き嫌い分かれる舞台だと思うんだけど、まず楽曲と美術が好みで楽しいし、ここは古代のギリシャアテネ・テーベであり現代社会であるという構造がすごく好きだ。作品が観客に向かって、さああなたが描いて物語をと投げかけてくるのが好きだ。

シェイクスピア劇ってもったいぶって幻想の世界を遠回りしてコネコネ捏ねくり回した台詞回しが矢継ぎ早に繰り出されるのが楽しいんだなってのが、ナイツテイル見てるとわかるというか、初演時よりも再演の今のほうがテンポが良くてセリフが歌うようにリズミカルで小気味がいいんだよね。楽しい。

"さあ描いて鎧を 馬 剣、さあ描いて 女と男の戦い さあ描いて降りそそぐ矢の雨"

"ちょっとだけ泣いて、ちょっとだけ死ぬ、仕方ない"

"束の間に咲く人生 花のように 現れすぐ消える 死は目の前に"

ナイツテイルの歌が頭の中をグルグルまわって気持ちがいい!様々な権利関係があるのだろうけど、全部すっ飛ばしてサントラがほしいし円盤化してほしい!

このコロナ禍でメインキャスト陣が全員変わらずに再演ができている事が本当に嬉しいし、めちゃくちゃ楽しかった!

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