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インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

Endless SHOCK 2017 観劇

2017年3月2日、3月11日 Endless SHOCK 帝国劇場にて観劇。
ネタバレしかないです!SHOCKはどうしてもきれいに感想が書けなくて、かなしいと楽しいが表裏一体すぎて、支離滅裂な文章になってしまう。

一年ぶりのSHOCK。客席の照明が落ちて、オーケストラピットから演奏が響いて、幕が開いた瞬間に、ああ夢の世界だって思った。すごいしあわせだった。

すごく雑多な感想になるから最初に書いとくけど、前田美波里さんの艶やかさがすごい。あの方が舞台に上がった瞬間の華、存在感。もうその存在自体がショーアップされた美しさを持っていて、ステージ上を一瞬にして華やかに艶やかにしてしまう人だなと思った。

SHOCKどんどんわかりやすくなる。感情や関係性がとてもクリアに見えてくる。今年もオフブロードウェイからオンへと昇っていくカンパニーの不和と崩壊と再生ってストーリーに大幅な改変はなかったけど、キャストが半分くらい入れ替わったそう。それによって役の間の関係性がガラッと変わったと思う。特に、今までライバル役のヤラ側にいる子たちの関係性がコウイチ側に比べて薄かったけど、新キャストのハマナカによってグッと濃厚になった。
コウイチに対する右腕的なフクダと同じような密度の濃い関係性、ヤラの恋のアドバイザー?生意気な後輩?フランクで親密なハマナカがいることで、コウイチとヤラがより対等に近いライバルになった。あと、フクダ・マツザキとヤラの関係性も、ハマナカが入ることによって対比的に見えてより深まったように思う。フクダもだけど、特にマツザキはヤラを結構気にかけてて、それが以前よりもわかりやすくなってた。だからこそ、ヤラがした刀のすり替えはマツザキにとってひどい裏切りになる。
コウイチもヤラも決して一人ではないはずなのに、どうしてか孤独そうで。コウイチのそれはスターゆえの孤独なのかな、ヤラのそれはライバルでありながらずっと2番手であり続ける、追い続ける焦燥からなのかな。誰とも共有できない思いがあるから孤独そうに見えるのかもしれない。でも上手く行ってるときは、孤独そうでも幸福そうだったから、孤独であることは悪ではないんだとも思う。
SHOCKはシングルキャストでやってて光一さんは主役だし替えがきかないけど、屋良さんも間違いなく替えがきかないライバルだ。コウイチとヤラというライバル関係は唯一無二だと思う。

単純なハッピー要素は一幕の序盤で終了なのであんまり感想として触れる機会がないんだけど、ハッピーな一幕序盤で出てくる希望に満ち溢れた歌、ONE DAYが、結構ボディブローのように後半効いてくるのがすごい。ONE DAYってSHOCKのストーリーそのものなんだなって思う。明るい歌だけど、悲しみを乗り越える歌でもある。二幕でONE DAY流れると泣きそうになるのは、幸福な時と同じ歌なのに感じ取る感情が変わって聞こえるからだな。
あの星に手を伸ばし、捕まえるその日まで、信じあい走り続けるのさ、決して忘れはしない、僕たちの想いを。あの星はたぶん、役によって違うんだろうな。成長し続けて求められ続けるカンパニーになりたい、絶対にスターになってやる、コウイチに追いつきたい、コウイチを思っていたい、振り向いてほしい、みんなで一緒に踊り続けたい。それを一つの言葉にすると、あの星で、夢、なんだなって思う歌。

オンブロードウェイを目標にしてるカンパニーと、そこに行けば自分はもっと目立ってスターになってコウイチに追いついてリカにも振り返ってもらえると思いたいヤラと、大劇場に行ったらみんな満足してしまって前に進めなくなるんじゃないか終わりが来てしまうんじゃないかと思ってるコウイチのすれ違いがつらい。
誰も悪くない。みんなエンタテイメントの世界でみんなで歌って踊っていたい。一緒にいたいのに、すれ違って。コウイチが終わらせたくないならカンパニーもショーも終わらないし、ヤラはコウイチにすごく認められてるのに気づいてないし、いつかコウイチがヤラに追いつかれたとしても、傍から見ている側としたらそこで終わりは来ないと思うのに、かなしいなあ。

ジャパネスクの刀すり替え後の、ヤラとマツザキとコウイチの感情の色の違いが本当にすごい。こわかった。コウイチの、狂気にも暴走にも見えるあの笑顔と挑発は鳥肌が立つし、ヤラは恐怖に震えてもうやめて欲しくて、懇願するようにすがるように元凶のコウイチを見ながら逃げる。ひきずられるようにショーを続けさせられるヤラが痛々しい。マツザキは何もかも信じられなくてぼう然としてて、かなしい。
あの時コウイチは対応しきれずにヤラに逃げたんだよな。その時のベストな対応はコウイチが本物の刀を使い、その場を切り抜けることだった。後になってわかることだから、仕方が無い。コウイチの孤独をヤラは知ることも癒すこともできないし、それは逆も然り。でも、コウイチにはフクダがいて、ヤラにはハマナカがいたんだよ。なにかひとつでも違ったらこの悲劇は避けられたんじゃないかって思ってしまう。
一部始終を見ていたヤラ・マツザキ・リカの絶望もすさまじいけど、フクダがかなしいんだ。血まみれで階段を転がり落ちてきたコウイチという状況を、何ひとつ理解できず取り残されて、階段の上に立つヤラ達に叫んでる。

あと、コウイチが大階段下で死闘を演じている時の、大階段上のヤラを見てたんだけど、ぼうっとしてるんだね。刀のすり替えをもうしてしまったから、自分が刀をわざと落とすことでスイッチを押すか、やめるか、コウイチを見つめながら考えてるんだ。ここが本当にかなしいシーンだなあ。コウイチも迷ってるけどそれでも必死で演じてるのに、ヤラの意識は舞台上にないんだ。ヤラこそ、コウイチを一人にしないでいてあげられる人なのに、この時コウイチはひとりぼっちだ。みんなコウイチの背中しか見られないのに、ヤラは横顔を見られる位置にいるのに、コウイチもヤラも、周りが見えなくなっていつのまにかひとりぼっちだ。

SHOCKのシェイクスピアの劇中劇は、役との関係性のリンクが本当におもしろい。ショー的な美しさの中に、ヤラの苦悩がまざまざと現れて、屋良っちの見せ場だよ。もう叶わない夢の中でコウイチがやりたいと思っていたシェイクスピアの芝居を一緒にやる、リチャード三世やハムレットの劇と自分の状況がリンクして断罪される、本当にかなしくてやるせないシーン。
このシーン見てるといろいろ考えてしまう。フクダやマツザキは、オフブロードウェイのオーナーの劇場に戻って、コウイチの意志を引き継ぐようにシェイクスピアの芝居をやっている。ヤラも一緒にやろうと誘いも受けて、でも断っているわけで、そのうえであんな風に夢を見るってことは、コウイチが入院してからずっと、ヤラもシェイクスピアの芝居について本を読んだり勉強したりしていたのかな。いつか、和解ができたなら、コウイチと一緒の舞台に立つこともできるんじゃないかって夢を見る。夢の中でさえ罪悪感に苛まれて、再びコウイチを殺す悪夢になってしまう。

その後のコウイチが帰ってくるシーンは明るいし笑いが含まれるシーンなのに、オーナーとリカがコウイチの死を知ったうえでコウイチにバレないよう振る舞うからやっぱり不穏な空気は流れてて。コウイチは違和感を感じつつも、気づかないし気づけない、もしかしたら気づきたくなかったからかもしれないけど。

この後のHigherがショーとしてすごく楽しいんだけど、本当に残酷なシーンだと思う。ヤラが事故のあった大劇場でショーを続けている、もうすぐクローズすると聞いてコウイチ・フクダ・マツザキが元気づけに行く。展開としてはポジティブなはずなのに、コウイチとヤラの明確な違いが映し出される。
このシーン、ヤラはあんなに突っぱねたコウイチのShow must go onという言葉の呪いに囚われているなと思う。コウイチへの贖罪のようにショーを続けて、夢に近づいた最高の俺のショーだって強がって、楽しさや向上心やみんなを笑顔にするようなパワーより悲壮感が漂うショー。もう一曲やるなんて聞いてないぞと仲間に言われて、それでもショーを続けるぞと周りを鼓舞して見せる姿が本当に健気だ。そこにコウイチが現れて、同じ楽曲で、ヤラを挑発しながら、最高にパワフルで歓喜にあふれて思わずみんな笑って踊りだしちゃうようなステージを見せつける。最初はコウイチ・フクダ・マツザキの3人だけで踊っているのに、さっきまでヤラと一緒に踊っていた仲間たちも、みんなコウイチを見て、コウイチのダンスを見て、うそ!どうしよう!楽しい!踊りたい!なんでヤラは一緒に踊らないの?楽しいよ?って、ヤラを置き去りにみんなで踊ってしまうんだよ。あんなに楽しくて残酷なシーンって他にはない。何もかもが空虚、そうだろ?ってコウイチに突き付けられて、踊ることすらできずに呆然とみんなを見てるヤラがかなしすぎる。この時ばかりはコウイチの無神経な残酷さを恨みそうになる。ヤラに自分を殻に閉じ込めるなって言いたいんだと、SHOCK全体を見るとわかるんだけど、ここはあまりにも残酷なシーンだ。

その後のヤラの独白を聞いてるとコウイチへの屈折した感情の波に飲まれてしまう。本当は大好きで、憧れてて、届かなくて、置いていかれたくなくて、だから憎くて、嫌いだと思い込みたくて。刀をすり替えたあの時コウイチがショーを止めていたとしたら、ヤラはコウイチが自分と同じところまで降りてきてくれたと思ったのかもしれない。ショーを止めないのがコウイチだし、止めてたらヤラはコウイチを余計に見失ったかもしれないけど。
ヤラがコウイチの死を受け止めきれずに、みんなにすがりついて、嘘だろ、なんか言えよ、何で何にも言わないんだよって叫んで、オーナーに嘘ですよねって泣きついて、俺は信じねえよって崩れ落ちる姿を見るたびになんでこんなことになってしまったんだろうって思う。いつもここで泣いてしまう。
年々コウイチが人間味を増して、コウイチの弱さや脆さが浮き彫りになればなるほど、その分だけわかり合えたかもしれないと思えて一層かなしみが増すんだと思う。こうだったらああだったらって色々考えるけど、たぶんこれが最良ではなかったけど、きっと最善だったって思うたびに、コウイチが死ぬ結末が最善なのが悲しすぎる。

このシーンで、最初からコウイチの死に気づいていたオーナーとリカ以外で、一番早くコウイチの死に気づくのってハマナカなんだよな。ブンちゃん久しぶり!ってハイタッチした時にハッとした顔をして、そこで気づいたんだよね。聡い子なんだなと思う。こういう聡い子がヤラ側にいてくれるのは心強いというか、希望が持てる。

コウイチの死から先の、誰かがコウイチに触れる描写がすごく丁寧で好き。
リカがネックレスを渡すシーンの死への気づき、コウイチが死んでいることを本人に気づかせるためにナイフで刺して、その後すがりつくように手に触れるところ、ヤラがもう一度コウイチのステージに立たせてくれって手を握って最初はその冷たい死の気配に手を引いてしまうんだけど、もう一度ギュッと握って頼むって言うところ、フクダがフライングのワイヤーをフッキングする時、完了の合図で肩をポンポンとやさしく2回たたくところ、夢幻のシーンでヤラと手を握ったり肩を組むところ、夜の海の後力つきて倒れたコウイチをヤラが抱き起こして、それを受け取ってフクダが抱きかかえるところ。壊れてもう消えかけている命に触れる時の、恐る恐るという感じや、力を籠める感じや、真綿でくるむようにやさしくする感じが、キャラクターによって違っていて好きだ。

特にフクダは、何度も何度もコウイチの命に触れてきたからなおさら。ずっとフッキングの役割をしていて、常にコウイチの命綱になってきたから、誰よりも見つめててやさしく温かく触れようとしてるのが伝わってくる。満足げに眠るように死んでいるコウイチをずっと見つめていて、何を考えてたんだろう。満足そうに微笑んで死んだコウイチをじっと、ずっと、優しく見つめてるフクダから目を離せなかった。
大桜の後、真っ白な衣装で全員で歌うのは、ある意味鎮魂歌なのかな。コウイチ自身も自分の夢が死んでしまって、仲間に託さなければならなくて、カンパニーもコウイチを通して見ていた夢の死を受け入れなくてはいけない。送り出すための、旅立つための鎮魂歌。
真っ白な衣装で思いを乗せた歌をみんなで歌って、死んだコウイチはセンターにいるけどもう存在はしなくて、存在しないはずのコウイチが最後の最後まで見えてるのは唯一ヤラなのがうれしい。一番最後に心が通じ合ってくれて。
所々で出てくる、子供の頃のコウイチとヤラのやりとりが聞こえると泣けてくるんだけど、ヤラが雨の中踊りつづけるコウイチに置いていかれる恐怖を感じたのも、ずっと一緒に踊り続けたいと思ったのも、どちらも本当だからかなしくて、でもヤラがまた立ち上がって前を見られるようになったのがすごくうれしい。

Endless SHOCKは悲劇性があるから中毒性が高いんだろうな。悲劇のあとにハッピーエンドになるんだけど、完全に明るく幸福にはなりきれないから。ヤラはどんなに煌びやかなステージに立ったってコウイチの輝きを忘れられないし、きっと回数は減っても悪夢を見る日はある。カンパニーの誰もがコウイチの幻影を心に焼き付けたまま生きる。鮮やかに美しく燃え尽きたコウイチの残像が、Show must go onを叫びつづける。それでも前を向いてステージに立つカンパニーに、たくさんの拍手と笑顔が降り注ぐといいなと思う。カーテンコールの後、単純に素晴らしいパフォーマンスをありがとうの気持ちだってあるけど、そういう気持ちで拍手を送ってしまう。

今回見ることができたのが3月だったので、2月放送の関ジャムを見てから観劇できたのもよかった。その中で、光一さんがフライングにもストーリーに合わせた意味を持たせてるって話してたけど、リボンフライングは火が燃え尽きる寸前に一瞬勢いを増すように、生命が燃え尽きる直前の輝きを表現してるのがよくわかる。ラダーフライングは危険と隣り合わせのことをやることで、リボンフライングと同じく生命の最後のひとしずくまで絞り出すように飛んでるんだと感じた。
2階席に飛び乗るために、振り子の動きのために歯を食いしばって力を込めてる苦しそうな顔が良く見える席で、飛び乗った後に観客に見せるための顔にショーのための顔になって2階席を見渡すのが本当に美しくて、この一瞬のために苦痛を飲み込めるんだ。すごいな。

Endless SHOCK、何度見たって感動するし、かなしいけど最後前向きになれるストーリーが気持ちいいし、ショーとしての華やかさや完成度もすごいし、今回歌に力入れたって言うだけあって歌の楽しさや厚みもすごくて、今回見に行けて本当によかった。

見に行った3月11日は誕生日だったんだけど、ここ数年なんでもない自分の誕生日じゃなくて世間が3.11になっちゃってるから自然と毎年この日はテレビ見ないし関連のものは極力目にしないように薄目で見ちゃう。気にしなくていいってよく言われるけど、だから気にしないためになにも見ないっていうのを続けている。
カーテンコールで光一さんが、自分たちにできることはちっぽけだけど、だからこそ大きなエネルギーがエンタテインメントには力があると思うと言っていた。その通りだと思う。少なくともここに、一日を幸福に過ごせた人がいる。なんてことのない普通の素晴らしい日を過ごさせてもらえて幸せだった。

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