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私の内包物をつれづれと

Being at home with Claude~クロードと一緒に~2019 観劇感想

2019年4月21日、赤レンガ倉庫1号館3Fホールにて、Being at home with Claude~クロードと一緒に~ 昼公演(Cyan)を観劇。
すごい舞台だった。見ているだけでエネルギーが全部持っていかれる、脳みそを心臓をグルグル掻き回される舞台。息つく暇もない怒涛の会話劇、彼の言葉も想いも理解さえさせてもらえず断絶の向こう側に立たされて、けどどうしようもなく目を離させてももらえない。いい意味で、ものすごくしんどい作品だった。
会場を出ると、ソワレの当日券ありますって案内してたけど、無理すぎる。こんなしんどい舞台を一公演見てそんな体力残ってない。マチソワなんてしたら最低でも二三日休みもらわないと回復できない。ダブルキャストの松田さんの回も見てみたかったし、今回見た小早川くんの回ももう一回見たかった。
以外とりとめのないネタバレ感想。

 

Story
1967年 カナダ・モントリオール。裁判長の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取り調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取り調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。
殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。
順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。
密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。(公式HPよりhttps://www.zuu24.com/withclaude2019/)

序盤、刑事と彼の取り調べの会話を聞いていると、あんまりにも謎だらけでとんちんかんで意味もわからず、彼は嘘をついて刑事を翻弄しようとしているのではないかと思ってしまう。だけど、最後まで見ると騙そうとなんてしてはいなかったのだとわかる。悲しいくらいに。

作中でも言われていたけれど、言葉にするとなにもかも陳腐でしかなくなってしまう。どんなふうに出会って、共に過ごして、愛し合って、どうして殺してしまったのか。
生まれも育った環境も恵まれず男に身体を売ってその日暮らしをする男娼が、真逆に思えるような生まれも育ちも恵まれた彼女持ちのインテリ大学生と心を通わせ、心底愛し合ってた末に殺してしまう。ただ説明文にすればなんの魅力も感じられない陳腐な物語。でも劇中には息苦しいほど苛烈で溺水するような愛が、正気のままそこにあった。

イーヴ(彼)が気が狂ってしまえないことがあまりにもかわいそうだった。気が狂ってしまえたらどんなに楽だったか、彼との幸福だけを夢見ていられる愚かな馬鹿だったらどんなに心だけは楽だったかって、それが悲しかった。すべてを諦めたような理知的で冷めた部分が、理解をされないことを知り尽くしてることが、それでも諦めきれないようなところが。

面倒くさそうに取り調べを受けるイーヴのどこか投げやりで稚拙でしどけない仕草が色っぽかった。けれどそれ以上に彼に愛された記憶をなぞっている時の、愛された自分の身体のことすら愛しげに振る舞う浮き足立った様子の幸福そうなこと!くるくると花畑を走り回る少女みたいに無垢で愛らしいイーヴが微笑ましかった。自分の裸の胸の上に本を広げてページをめくる恋人を愛しげに思い起こすイーヴがかわいそうで愛しくてたまらなかった。

イーヴの言動は、生まれ育ちの環境ゆえの学のなさから稚拙だったけれど、感受性のとても豊かな少年であることがわかる。稚拙ではあるけれどどこか冷静で知性もある。序盤の言動は核心をさけているせいもあり理解から遠いけれど、彼の中では正しく事実であり真実で筋が通っていて、刑事たちからすると気が狂った演技をしているような陽動に見えるのが、コミュニケーションの断絶が悲しい。

イーヴはただ彼を愛していた。言葉にしてしまったら脳裏に残った映像が粉々になって無くなってしまうから、きっとあんなに頑なに、クロードとの核心部分を話したくはなかったんじゃないか。
イーヴが自分の名前も恋人の名前も気安く誰かに口にして欲しくないくらいに愛し合って、ふたりだけの世界の中で最高の瞬間に彼の時を止めた。彼を幸福の中で生かすために、殺した。彼の幸福こそがイーヴの幸福だから。ハッピーエンドは幸福の絶頂で切り取らないと後は下降線をたどるだけ。イーヴは絶頂の先を、未来を見てしまったから、クロードをそこへ行かなくていいように殺してしまった。でも現実は時を進めていく。
彼が腐っちゃう、そう気がついたから自首をした。彼のことばかりだ。でも殺されたときのクロードは切り裂かれた喉を押さえることもせず幸福そうに笑ってイーヴを抱きしめていた。彼もまた同じだけイーヴを愛し、幸福のまま時を止めることを肯定していた。そんな抱擁の中にいたイーヴはきっと幸福だっただろう。彼がいないことを信じられずに奇行のように街を彷徨うことになっても、それでも彼がハッピーエンドだったなら彼がいない苦しみすらも幸福なのだと。
取り調べの中でクロードとのことを話しはじめ、自分たちが愛し合った事実を伝えようとして伝わらなくて諦めてしまうこと、ふたりがあのときふたりきりの、世界から断絶された存在に思えて悲しかった。
恋人で兄弟で半身で鏡の裏表で、そんな相手同士だったなら、イーヴの家族や生まれに恵まれない生きづらさをそのままに愛したクロードもまた、境遇は真逆というほどに違えど、イーヴと同じく生きづらさを抱え共鳴していたのかもしれない。
すべてが終わったあと、この作品のタイトルBeing at home with Claudeを思うと涙が出そうになる。

速記者のギイが取り調べの会話を書き記し続けたこと、言葉にならない想いをなんとか絞り出したイーヴの散らばった言葉たちを書き残した事は、記録として残ることは、どれだけ陳腐に思えても無意味ではないと思いたい。イーヴとクロードが心底愛し合って幸福だったことを他の誰に知られることが無くても、誰に理解されらことがなくても、静かに残り続ける。言葉は何かを正しく表現するのに何もかも足りなさすぎるけれど、残すということに関しては長けているから。

作品に、役者さんたちの演技に、頭をぶん殴られるような舞台に出会えることはとても幸福だった。この作品、あまりにしんどすぎてしばらく見たくないけれど、心と身体のコンディションを整えた上でまた見たいと思った(行ける日がないのが悲しい)。再演を繰り返す人気作だという理由が見ていて伝わってきた。個人的に、イーヴ役の小早川俊輔くんの演技はテニミュとポセイドンの牙ぶりでとても久々だったのだけど、全然知らない演技をする役者さんになっていて驚いた。また違う舞台で、素敵な演技で出会えたらうれしいなあと思う。