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私の内包物をつれづれと

オレステイア 観劇感想

2019年6月19日、23日、新国立劇場中劇場にてオレステイアを観劇。
上演時間4時間20分って歌舞伎か?!と思っていたら面白くてあっという間に見終わってしまった。尻の痛みが時間の経過を物語っている(笑)
粘度のある濃厚なエログロ、笑いもある軽快な会話劇、シンプルで美しい美術、たくさんのメタファーと意味のある類似の言葉遊び、とても楽しかった。
以下ネタバレ感想。

 

<あらすじ>
ドクターがオレステスに小さい頃の記憶を尋ねている。「二羽の鷲と一匹の野ウサギ」。野ウサギのお腹の中には子ウサギがいる。
オレステスの父アガメムノンは戦争の勝利のために子殺しの神託を実行し、幼い娘イピゲネイアは生贄として殺害された。そして凱旋の日、夫の帰りを盛大に迎えたクリュタイメストラは、その夜自らの手で娘の仇である夫を殺す。
トラウマのために混乱するオレステスに、ドクターは真実を見るよう促す。
ついにオレステスは父の仇である母クリュタイメストラを殺害。その罪をもって裁判にかけられる。
(HPより https://www.nntt.jac.go.jp/play/oresteia/)

古代ギリシャ古典作品ということで見に行く前は若干構えてしまっていたが現代的に演出されていて見やすかった。
メタファーが多く散りばめられ、脳がグルグルと回るのを感じながら観劇することが気持ちよかった。
神や信仰が、質感、実感、実像をもたない時代に、神託=事実であり神々が近しかった時代の物語を現代的に描く作品。ただひとつの事実はなく、見た人数分の解釈が存在することだけが事実だというのなら、自分の解釈を疑いながら見出すことが正解なのだろうなと思った。

声高らかに羅列された神々の名に父・王が並んでいる。神々は父であり王であり自分よりも大いなる存在、創造主であり支配者だ。
預言者に金を渡し、神託を授かるアガメムノン。徴に従えば常勝の風が吹く、苦しんで知るしかないと預言者は言う。苦悩の末に娘殺しを果たしたとき、合図のように上昇の風が吹いた。

オレステスの回想によってアガメムノンの娘殺し、その復讐であるクリュタイメストラの夫殺し、その復讐であるオレステスの母殺しが描かれ、舞台にはいたるところに血の赤が象徴的に散りばめられてゾクゾクした。回想劇ではあるけれど、リアルタイムである演出がされていて、死者を映し出すモニターには本当の現在時刻が刻まれて余計にゾッとした。

家族団らんの食卓。犯行の証拠品である血だらけのテーブルクロスの上にある晩餐のごちそう、その鹿は料理であるけれど死体だ、本人の意思を問うこともなく虐殺された命の残骸。鹿の死体は人間が生きるための生贄なんでしょう?とイピゲネイアは問い、鹿は食べないと言った。
人間のために犠牲になる鹿は、戦争に勝利するための生贄になるイピゲネイア。象徴として描いているだけではあるが、ドキッとするシーンだった。

クリュタイメストラオレステスを私の飛行機、戦車だと言った。オレステスは戦車を戦死者だと聞き間違えた。似た言葉には意味があると劇中で示される。オレステスは戦争の道具、アガメムノンと同じ暴力の権化、男で、父で、支配者になると同時に、被害者でもある。
オレステスが自分は母親になれるかな?と問う、父親は娘を一番愛するんでしょうと。クリュタイメストラは、あなたは父親になるのだと言い、エレクトラは息子を愛する父になればいいと言った。
父親は娘を一番に愛している、アガメムノンはイピゲネイアを一番に愛し、だからこそ生贄として選ばれたということなのかな?と思った。オレステスは父に一番には愛されない。自分の中で作り上げた人格エレクトラが姉という女性だったのは、創造主であり神である父に愛されたいという思いの発露だったのかもしれない。

クリュタイメストラは娘殺しをして戦争に勝利し凱旋してきたアガメムノンに歓迎の抱擁をしながら、「あなたを称賛する」と言った。「称賛する」とは正しくは「消散する」だったのかもしれない。血の色の絨毯を敷きアガメムノンに歩かせるクリュタイメストラには殺意があった。
男性優位の世界で、王であり夫であるアガメムノンに復讐するときのクリュタイメストラは男として表現されていた。ドレスからパンツとロングジャケットに衣装が変わり、銀のナイフを勃起した男根に見立て腰を振って何度も体を貫いて陵辱のように殺すシーンが、家族団らんの象徴であった食卓の血まみれのテーブルクロスの上で再現される。クリュタイメストラの恍惚の顔、暴力と支配の快楽の顔だった。
でも自分が復讐されるときは胸をむき出しして、この乳房からお前は乳を吸ってこの腹から生まれてきただろうと命乞いをした。でも観客はもう知っている、オレステスは乳母の乳と乳母の愛で育っていることを、その命乞いの哀れで滑稽なことを。

カッサンドラはアポロンの名を叫ぶことで、クリュタイメストラの復讐による死を予見したように見えた
イピゲネイアと同じ顔、同じ黄色いドレス、似た言葉に意味があるように相似形であることにも意味があるのだろう。(アガメムノンアイギストスが相似形であることも)アガメムノンのせいで尊厳を踏みにじられ犠牲になる少女。イピゲネイアも殺される少し前、無意識かもしれないが死を示唆するような言葉を言った。パパのために歌を覚えたよ、みんなで一緒に歌うのはなんて言ったっけ、そう「コロス」だと。

最後の復讐である母殺し、エレクトラクリュタイメストラと同じように男装をして襲いかかった。暴力、殺戮、神の徴の実行者、支配者、それらが男だからだろう。
でもエレクトラは実在しない。本当にそこで母殺しをしたのは女装したオレステスだった。父に一番に愛される娘にもなれず、父を愛するがゆえに復讐を果たさなければならず、その復讐として自分を生み出した母を殺さなければならない重圧にゆがみ、幻想の姉を作りださなければ精神を保てなかった哀れなオレステス。イピゲネイアのドレスを着て、殺された父の血で染まるテーブルクロスと、殺した母の衣服を握りしめて立ち尽くす姿が印象的だった。

母殺しの再現が終わると現在に戻り、オレステスの裁判のシーンになる。今までのすべてが裁判の罪状認否のための問答であったとわかる。
今までの登場人物が真っ赤な法服を着てオレステスの罪を問う。赤は血の色で裁きの色だ。
アガメムノンの娘殺しの罪は、クリュタイメストラに殺されることで償われ、クリュタイメストラの夫殺しの罪は、オレステスに殺されることで償われた。クリュタイメストラの顔をした代理人はバランスだと言う。父を殺されたことで行った復讐が正当ならば、母殺しの復讐としてオレステス自身を自ら殺さなければバランスが取れない。父の復讐が許されるのなら、その元となった娘殺しの復讐も許されなければバランスが取れない。
もっとたどれば、戦争で死んだ命へは殺人と問われないのなら、戦争のために死んだイピゲネイアの死もまた殺人と問われないのか。では果たしてイピゲネイアの死は戦争の終結に直接的に関与したと証明できるのか?
復讐の女神が「未払いの死がある、支払いは子供」と地を這うような声でオレステスに言い募る。銀色の蛇が這う、蛇は母殺しのオレステスであり罪人のメタファーだ。復讐の女神の姿も声もオレステスにしか感じ取れない。女神の姿はオレステス自身の罪悪感なのかもしれない。

有罪と無罪、同数の票が入り最終判断はアテネにゆだねられた。裁判も法も古から現在に至るまでずっと不完全で、大人数で決めることもたった一人が決めることも結局大差がない。
エレクトラの顔をしたアテネはこの法廷では歴史的に男が優遇されてきたことを伝えた。判決は無罪だった。判決理由が語られることなく、手錠ははずされる。
無罪となり手錠をはずされても、血に濡れたままの手。罪の意識はオレステスのもの。
オレステスの手の上にはイピゲネイア殺害に使われたものとおなじ、銀のトレーに3つの毒薬の入った紙コップが乗せられた。イピゲネイアがその死には苦痛はないと、アガメムノンクリュタイメストラが家に帰ってくるようなものだとささやいた。死が訪れたなら、家族みんないるのだと。
すべての人間が無罪となったオレステスを見ている。その手には死の毒と罪悪感と正義が乗せられて、家族もなくひとりで生きていくことをかせられた。

観客はオレステスの罪状から判決をくだす陪審員のひとりとしてそこにいる。罪には罰をと考えさせられる。
ニュースで犯罪者が捕まったとか、どんな罪を犯したとか、それで懲役何年とか、一瞬で通り過ぎていくもので、罪にはだいたい罰が伴う。無敵の人とか話題になったりしたけど、死刑という罰が罰にならない人だっているわけで、ならばオレステイアで問われたバランスというものはどう保たれるべきなのだろう。
本能的な感情を咎めるだけでは、復讐の、殺戮の連鎖は終わらない。神様からの殺人教唆は現代では認められないが、それでもやる人はやる。
アテネエレクトラ代理人だった。エレクトラオレステスだった。純粋な怒りの力を持った神でありながら、オレステスに無罪を与えた存在はオレステス自身であり、死と生と、正義と罪悪感とをその手に乗せられてどうしたら良いと叫ぶのもオレステス自身だ。
有罪としてオレステスが死んでしまえば物語としては美しく、始まったものがきれいに終わる結末だったけれど、そんなに簡単に楽にはしてくれない。正しさは初めから不完全な人間には簡単に導き出せない、考え続けることでしか近づけない場所にあるものなのかもしれない。

ふだん古典作品はあまり見る事がないので正しいかわからないけれど、コテコテの古いジェンダー観が誰の疑問も持たれず板の上で展開されてたり濃い異性愛主義表現があるのを見ると勝手に古典作品だなあと思う。オレステイアも現代的な演出をされているけど、逆にある種のファンタジーというか古典作品感を強く感じた。
だからというのも変だけど、アガメムノンの持つものすごい旧時代的な女性観を、妻であるクリュタイメストラはものすごく裏切っていていい悪女だなあと思った。かつてはアガメムノンの理想の女で恋人で妻だったのだろうけど、男装して男根のメタファーを振りかざして復讐をしてくるわけだから、ものすごく皮肉だなあと思った。クリュタイメストラは「自分でジェンダーを選んだ覚えはないけど鏡に映る自分は受け入れている」というようなことを言っていたし、その姿はすでにドレスを脱ぎ捨て、アガメムノンと同じあの世界における男の服だった。神野三鈴さんのクリュタイメストラの熱演、最高だった。

オレステイアは音月桂さんと生田斗真くんというキャスティングに惹かれてミーハー心から見に行ったのだけど、古代ギリシャ!難しそう!という印象を覆す美しくて残酷でおもしろい作品だった。
ナイツテイルの音月桂さんしか拝見したことなくて、あの女神のようなお姫様も美しくて見惚れたしとても良かったけど、今回のエレクトラは全く違うキャラクターで面白くて魅入ってしまった。エレクトラの無邪気な少年性と荒々しい愛憎ほとばしる獣のような演技、とても素敵だった。
生田斗真くんのオレステスの、ナイーブでか弱い、柔らかい心の在り方と、親からの呪いの連鎖、強烈な苦悩がものすごく心揺さぶられて一緒に呆然としてしまった。
よく知らない世界観の作品でもミーハー心でエイヤ!と見に行ってみると、ものすごく楽しめて好きになる作品に出会えたりする、この偶然性が観劇の面白さでもあるなあと思った。

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