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私の内包物をつれづれと

『ナイツ・テイルー騎士物語ー』初日 観劇感想

2018年7月27日、帝国劇場にてナイツテイルの初日公演を観劇。
素晴らしかった!あまりにも面白くて、一幕が終わった瞬間に、時間が過ぎるのが早すぎる!もうすでに何度でも見たい!再演して!!!と叫びながらくるくる回りたくなった。
静かに座っていても、舞台上にも客席にも歓喜と熱狂が渦巻いているのを感じるくらいに心が躍る世界だった。観劇後、ふわふわと多幸感に包まれながら帰ることができる楽しい舞台だった。
以下ネタバレ感想です。

オープニングナンバーの騎士物語がとても印象的で、かつナイツテイルがどういう物語なのか、誰の物語なのかを提示してる歌だった。
これは俺の物語だとアーサイトとパラモンが、私の物語だとシーシアスが、いいえ私のとエミーリアが、ヒポリタが、牢番の娘フラヴィーナが歌い踊り、でもきみの物語でもあると言われた。ここがどこなのか、きみはどう想像し創造するのか、すべてはそれ次第だと提示された。これを聞いた瞬間すごく興奮した。どう見る?どう解釈する?そう問いながら観るものを信頼しているんだなあと思った。

原作では古代ギリシャのお話で、神話の世界のほうが近所みたいな世界観なのに、実際に舞台上で描いてるのはあなたの世界だよって語りかけてくるストーリー。和楽器や和のテイストの衣装や殺陣や桜なんかも自然に出てきて、日本初演ならではの日本人とシェイクスピアの古典を融合させる演出なんだろうなあと思った。どこでもないここというナイツテイルの世界観、古代ギリシャがジャパネクスファンタジーの世界にもなって、すごく身近な感情も溶け込んでいて、もしかしたら現代社会がすぐ向こう側にあるようにも思えた。風刺と言うほど突き放した感じじゃなくて、愚かさを嘆くのにそれでも愛していると歌って踊る。愛と同じだけ憎むときもある。毎日少しずつ死んでいく諦めの生の中でも、しがらみから抜け出すきっかけを掴めば、歩き出せば、生の喜びを見出すときもある。ナイツテイルは人間賛歌だと思った。

原作読む時間がなくてあらすじだけ調べてから観劇したのだけれど、結末が変わって大団円になっていて、それはたぶんエミーリアの変化によるところなんだろうと思った。実質主人公はエミーリアだし、ヒポリタだし、フラヴィーナだった。

舞台美術がとても美しかった。ナイツテイルの世界ではいろんな命がそこにあるのを目の当たりにする、その時々すべてにマッチするような美しくて静かな美術だった。プログラムを読むと鳥の巣をイメージしているそうで、命のゆりかごだなあと思った。最近の舞台だとプロジェクションを上手く使った演出も多くて華やかなものを見慣れていたけど、ずっと変わらない背景と中央の盆が回るだけのシンプルさで、すべての情景を想像させてくれる、演劇ってすごいなあと子供みたいに思ってしまった。あと幕が下りないのにびっくりしたけど、場面転換がスムーズでずっと地続きでストーリーが進んでいくのが心地よかった。
衣装もとても美しくて、エミーリアのドレスは実りや豊穣を連想させる柔らかな金、フラヴィーナは森や芽吹を連想させる緑、ヒポリタは燃え盛る叡智の炎を連想させる真紅だった。この美しい三人の女神がしがらみに囚われた男たちを導いていく。アーサイトは衣装がさまざまに変化していくけど、その変化ひとつひとつが彼自身の変化なのかもしれない。テーベ軍の鎧の姿は青と黒と銀、捕虜として囚われた時のラフなシャツ姿は柔らかな白、ダンサーに扮した姿は民族的な刺繍の緑、エミーリアの従者となった姿はエミーリアと同じ柔らかな金。アーサイト自身の世界が広がっていく過程、騎士としての自分以外の自分を見つけていく様が衣装でも見て取れるようだった。

シェイクスピアの劇は初めて見たけれど、感情が本当に目まぐるしい。愛した次の瞬間にはもう憎んでいる。ジェットコースターみたいだ。でも不思議とつぎはぎのような不自然さはなくて、人の多面的な部分の光のあたる角度が変わって見えているだけなんだなあとも思った。

アーサイトとパラモンの友として従兄弟としての友情も、恋敵としての憎しみも、そこに生まれる猜疑心も嘘はなく、でも憎んでいたって愛してもいる。もともと鏡写しのような二人で、容姿は違えど生まれの高貴さは同じで、相手の中に自分を見ている。捕虜として捕まった牢の中で、最初にエミーリアを見つけたのはパラモンだけれど、見た瞬間に恋に落ちたのはアーサイトで、アーサイトが恋に落ちた瞬間をパラモンは横からじっと見ていた。鏡に映った自分をみて、その通りにするようにパラモンもエミーリアに恋に落ちた。捕虜として捕らえられいつどうなるわからない牢獄という狭い世界の中で美しいエミーリアに恋をすることは、不安を麻痺させるためのある種の娯楽で生きる糧だったのかなとも思った。閉じた世界の中で生きる喜びを見出すための恋。
牢獄でアーサイトとパラモンが手枷を打ち鳴らして歌うシーンがとても楽しい!ここを宮殿だと思おう、我らふたりがいるのだから聖域だと明るく歌う、自分と最愛の友がいて、食事があり眠ることもできる今をポジティブに捉えようと歌っていて、ふたりで捕らえられているからこその明るさでもあるんだろう。

これを聞いた牢獄の娘フラヴィーナは、彼らは囚われの身なのに牢獄の中に世界のすべてがある、高貴さが失われることがないとキラキラと憧れを抱いた。憧れの先の恋におぼれて、逆にフラヴィーナの方が囚われの身になってしまう。フラヴィーナの歌にある、ちょっとだけ泣いてちょっとだけ死ぬ、それで仕方がないという歌詞。諦めの中で生きていく悲しみが透明で柔らかな歌声で響いて切なくなった。
この歌はフラヴィーナがパラモンを脱獄させたときにも歌われる。気高い人をあるべき自由な姿にすることで、自分を慰めているようにも見えたけど、本当は気づいてほしいと願っている。いつも通りちょっとだけ泣いてちょっとだけ死ぬ諦めとともにある自分の幼い憧れと恋心に、決死の覚悟の行動に。なぜ尽くすかわからないパラモンに、言葉でなく行動の意味で気づいてほしいと訴える。同じ旋律をフラヴィーナとパラモンが一緒に歌う、すれ違う想いと歌、ハーモニーが美しい。このときすでにパラモンはエミーリアのことよりもフラヴィーナのことを深く考えるようになっているように見える。それなのに騎士の誇りのためにエミーリアを好きだと、命を懸けてでもそうあるべきだと思っている。

エミーリアはヒポリタとの出会いによって明確に成長していく。兄王シーシアスに対して文句を言うくらいしかできなかった彼女が、その兄王との戦争に負け妻となったアマゾネスの女王ヒポリタの高潔さに触れ、自分の意思を確立していく。そしてアーサイトとの出会いによって、また変化していく。なぜ追放された彼がここにいるのだろう、その意図を思案しつつも遠ざけることなくそばに置き、やがて惹かれていく。
エミーリアが最初にアーサイトを見出したシーンがとても好き。姿を偽りダンサーの一座に紛れ込んだアーサイトのダンスを見て、アーサイトたちのダンスにつられて踊りだすエミーリアがとても愛らしい!もともと美しい人なのに、楽しいという感情のままに踊るエミーリアは羽が生えたように軽やかだった。
そして幼いころの最愛の友であるフラヴィーナとの再会によって、彼女のうしなわれた愛が補完される。失恋により心神喪失したフラヴィーナに優しく寄り添い癒し、正気を取り戻した時の再会の喜び、抱き合う彼女たちはまるで恋人同士のようだった。主人公はエミーリアだな、と思った瞬間でもあった(笑)。いや本当に美しいシーンだった、フラヴィーナもまたこの再会によって世界が開けていく。誰が子どもを生みたいかしらこんな暴力の溢れた世界で、そうやって思っていても抗いきれずにいた、自立したいと願いつつもできなかったエミーリアを、ヒポリタとフラヴィーナという2人の女性が強くした。その先にアーサイトとの恋の成就があるんだから、アーサイトはエミーリアだけでなく2人の女神にも頭が上がらないだろう。

アーサイトもパラモンもシーシアスも、恋する男としての側面と、騎士として王としての名誉や高貴さという目に見えないしがらみに囚われている側面があった。アーサイトとパラモンは騎士の名誉のために一人の女性をかけて愛する従兄弟同士でありながら殺し合うことを良しとし、シーシアスもまた平和を願う善き王でありながら愛と名誉のために生死を懸けるその美学に惚れて本当は無用の戦いを促す。そのしがらみを、エミーリアとフラヴィーナとヒポリタがバッサリ愚かだと断じている姿が痛快で、でもその愚かさも含めて不器用な姿を愛しているのだろう。そして、最終的に愛を逆手にとってそのしがらみを断ち切るのもまた痛快だった!エミーリアが愚かに何の実りも生まれない争いに身を投じる騎士たちに、武器を置くように説得する。夜空に輝いているヴィーナス微笑んでいるヴィーナス、マルスは睨むだけと歌う。軍神マルスより、ヴィーナスやダイアナやフローラ、アテナに祈るシーンがあったり、水仙のナルシサスの話で男の名誉に対するしがらみをナルシシズムだと断じるあたり、愚かな男神と賢明な女神という構図と、パラモン達とエミーリア達の構図をわかりやすくしていたなあと思う。

ナルシサスの話の時に、鏡に映る自分の姿に恋をしているとあった。アーサイトとパラモンは、互いに互いの姿を映し合っていて、ふたりがふたりとも連鎖するようにエミーリアに恋をする。エミーリアとフラヴィーナもまた互いに鏡で、連鎖するようにフラヴィーナはパラモンに恋をしエミーリアはアーサイトに恋をする。アーサイトの涙と、フラヴィーナの涙は対になっていた。アーサイトはパラモンに、フラヴィーナはエミーリアにその涙は私のためか自分のためか聞かれる。アーサイトはエミーリアに姿を偽り従者として近づき、パラモンへの罪悪感を抱えていて、フラヴィーナはパラモンの脱獄の首謀者でエミーリアに愛情深くかくまわれることに罪悪感を抱えている。4人が4人とも、もしかしたら自分の大切な親友と自分に似た相手を好きになったのかもしれない。

アテネ・テーベ・スキタイの男女がみな恋に不器用だったり騎士や王の名誉という名の古いしがらみに囚われていたりする中で、森に住まう楽団のジェロルド達だけがその輪から外れた生活をしていて、すごく原始的でありながら現代的でもあった。彼らは自分たちの信じ求める芸術の表現に対して心血を注ぎ報酬を得て、それを糧に生きている。エミーリアの誕生祝賀のためのダンス、エミーリアやシーシアスに対して敬う気持ちはあるが、彼らが本当に尊んでいるのは自然であり己の求める芸術で、ジェロルドは誰よりも自由で自我と自立心が最初から備わっているように見えた。

そして森で一番印象的だったのが鹿!暗い森の中に光をまといながら現れる鹿たちの姿、すごく静かで神聖で神様が降り立ったようだった。パラモンが牡鹿に見惚れるのを見て、何かの啓示でも受けたんじゃないかと思った。牡鹿のジャンプが神々しくて息をのんで見惚れたし、牝鹿はとても愛らしかった。

最後は気持ちがいいほどの大団円!シリアスなシーンも笑えるシーンも乗り越えて、最高のハッピーエンドを迎える。恋愛だけじゃなく、いくつもの愛情がそこに共に生きていた。3つのカップルすべてが一目惚れなあたり、これから先も波瀾万丈だろうなあと思いつつ、ひとまずの希望の未来を提示された。古いこだわりにとらわれず、自分の本当に求めるものを理解し、広い世界を見ることで新しい可能性に一歩踏み出せるってことなんだろうなあと思った。全く持って完璧ではない彼らは、おそらくまたいずれ名誉が~とかなんとか言いだすかもしれないし、この一度の経験だけで考えが丸っと変わるわけはないだろうけれど、それでも未来が生まれていく。巣の中の命が成長して自分の力で巣立っていくように。

初日の公演を一度見た限りなので、見るたび違う感情が芽生えそうだとも思う。何度でも見たいなあ!チケットないけど!

以下役者さんたちへのまとまりのない雑感
井上芳雄さんの歌はすごい。彼が歌い出すだけで空気が変わる。空間を支配する。こわいくらい。闇の中だろうが光の中だろうが関係なく、人を集中させ惹きつける力があるなあと思った。
音月桂さんのエミーリアの光が彼女にむかって集約していくのが必然のような、輝かしい美しさ、芯のある美しさ、見とれてしまった。伸びやかな歌も気持ちがよかった。
島田歌穂さんのヒポリタの気高さをオーラのように身にまとった美しさ、歌声の素晴らしさ、導き手としての女神のような存在感に圧倒された。
上白石萌音ちゃんの牢番の娘の、妖精のような、花畑に舞うちょうちょのような無邪気な愛らしさと、歓喜と絶望に翻弄されるあどけない哀れさに見ている方も翻弄された。
大澄賢也さんのダンスとてもカッコよかった。その軽やかさもだけれど、身のこなしの感情の豊かさが楽しかった。

以下光一さんのファンとしての雑感
光一さんの歌がSHOCKで見た時より格段に良いんだけど、やっぱり井上芳雄さんの影響なのかな。すごいな!ダンスもめちゃくちゃ軽やかで見てると一緒に身体動き出しそうなくらいワクワクした。歌もダンスも今が充実していることが本当によくわかる。内側から光があふれてくるみたい!歓喜に包まれていた。
光一さんと井上芳雄さん、声の相性がいいのか歌声が喧嘩してない。つよさんとだと憂いで濡れた声同士で溶け合って調和していく感じだけど、芳雄さんの声は暗くないし声色が多彩だから、光一さんのギターの弦が唸るような響きの特性が引き出されているみたいで面白い。光一さんブンブブーンで勝たれへんもんって言ってたけど、勝つとか負けるじゃないんだってわかる。負けず嫌いだけど、自分のあるべきアーサイトの姿をひたすらに目指してるだけだってわかる。あと、今のカンパニーで演じている歌っている踊っていることが最高に楽しいってことがすごくわかる。楽しそうな光一さんを見られて幸せだ。のびのびと歌って踊ってる姿、かっこいいなあ。アーサイトとして生きてる光一さん素敵だった。
光一さんのアーサイトも井上芳雄さんのパラモンも本当にバカだなって笑っちゃうとこもあり、でもふたりとも本気の本気だから余計におかしくて笑っちゃうんだよ、最高だった。
井上芳雄さんがカーテンコールのときに、光一さんと舞台に立って、不可能はないんだってこれは無理だからやめようとかじゃないんだっておっしゃってて、なんかジーンと来た。ナイツテイルカンパニーは、いい化学反応、相乗効果が生まれている場所なんだなあ。
個人的に今年のSHOCKの感想書いたとき結構落ちてたんだけど、ナイツテイルで本当に爆上がりした。こんな素敵な光一さんが見られると思っていなくて、こんなに新しい光一さんが見られると思っていなくて、見くびっていてごめんなさいと思った。ナイツテイルの中に和楽器や殺陣や桜や衣装にも和のテイストがあって、余計にSHOCKを思った。コウイチがシェイクスピアの劇をやりたいと言っていたなあと。物語の中で実現しなかったことが、現実で叶っているなんて不思議な夢を見ているみたいだと観劇した今でもちょっと思う。ナイツテイルを経ることでEndless SHOCKがどう生まれ変わるのか楽しみだ。それとは別でナイツテイルが続いていってほしい!最高におもしろかったからぜひ再演してほしいなあ!今まで触れたことのなかったシェイクスピア劇だけど、他のシェイクスピア作品にも触れてみたくなった。

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