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私の内包物をつれづれと

暁の帝 壬申の乱編 観劇感想

2018年7月1日、池袋シアターグリーンにて暁の帝を観劇。

以前同じ作演出の方の舞台を観劇した時、とても面白かったので今回も面白いといいなと期待して見に行ったが、残念ながら今回は期待した内容ではなかった。
作品がおもしろい面白くないっていうのは完全に主観なので、私があまり楽しめなかったのと同じように楽しめた方がたくさんいらっしゃると思うので、もしその方がこれを見かけたのならそっとスルーして面白かった感想をぜひ発信して欲しい。

観劇後、なんで楽しめなかったのかを考えた。舞台を見ながら思考が散乱するのを感じていて、ああこの感覚やだなあと思った。目の前の舞台を見て、そのことについて思考がぐるぐると駆け巡る感覚ってとても楽しい。それとは逆の、散らばっていく思考をなんとか舞台上に引き戻して、束ね直してっていう無駄な作業が入るのが楽しくなかった要因だ。本当にこれは主観でしかない。それでもロープを使った独特の演出は好きだった。

冒頭で説明が入るが、この物語自体、鸕野讃良皇女の記させた史実だけでなく妄想込みの物語だという設定だった。それが恋愛脳まっしぐらな内容で、支配体制の交代劇を見るつもりでいたのに出鼻くじかれた。作演出の方がレジームチェンジを描くって書いてたから、頭にはてなが浮かびまくってしまった。私の想像力では何を描きたかったのかきちんと受け取れなかった。

劇の途中、鸕野讃良皇女が引きこもった時に稗田阿礼大海人皇子に歌って踊るよう助言した。春過ぎて夏来にけらし白妙の、どんちゃん騒ぎでそう歌いだして、ああこれは本当に史実とは全く無関係な鸕野讃良皇女の妄想なんだって思った。彼女自身が天皇になったあとの。今作では壬申の乱に勝利し、太陽の王として燦然と輝く夫。それを失い、息子を天皇に押し上げたがやはり死んで、そうやって周囲に愛する人がなくなっていった辛い人生の中で自分を慰めるための物語だったのかもしれない。だから、あなたはそこにいますかと問いかけていたのかもしれない。

終始思考を舞台上に戻しては離れてという感じだったが、それでも私は森田桐矢くんが演じた大友皇子に揺さぶられてしまった。親である中大兄皇子からの悲しい呪いの連鎖で、愛を十分に受け取ることなく死んでいく哀れな男の演技とても良かったと思う。
奪うことでしか愛を乞うこともできなかった父と同じ道を歩んでしまう悲しさ。愛しても愛しても愛されない彼が最後に少しだけ報われたように見えたのはよかったなあ。自分を利用してのし上がる母に打たれて、打ち返そうと思いはしてもその手を上げることができない大友皇子と、大海人皇子を殺すための手の合図を結局最後までできずにその手で大海人皇子の手を握った中大兄皇子、本当に悲しいくらい似たもの親子だった。
中大兄皇子が死ぬ間際、大友皇子に対して話してるのに大海人と呼びかけた時にはすごい悔しくて悲しくて泣いた。親にも兄弟にも親戚にもだれにも守ってもらえず、自決するしかなかったのは病死した父より悲惨な最期だった。