インクルージョンボックス

私の内包物をつれづれと

イヌフェス第1弾 羽仁プロデュース「恋するアンチヒーロー」観劇感想

2018年9月8日 劇場MOMOにて、石田隼さん主演、恋するアンチヒーロー 昼公演(猫チーム)を観劇!
以下ネタバレ感想です。
ストーリーはドタバタラブコメディで、世界征服を企む悪の秘密結社「シャムニャーン」が実は案外いい人たちばっかりだったり、逆に正義の戦隊「ガルルンジャー」が性格に難ありチームとしてのまとまりも欠いた案外非道な集団だったり、敵味方が入り乱れ、善と悪が逆転してんのかと思うような面白おかしい混沌具合。嘘がさらに嘘を呼んで、真実を知る客は主人公たちと一緒にひやひやしたり、神回避!とホッとしたり、天丼かよって思いつつ笑っちゃったり、演者の皆さんの力量が素晴らしく声を上げて大笑いさせてもらった。ストーリーの中心にナチュラルに存在し、いい人ではあるものの善と悪の両面を持って、どちらにも突出しすぎず流されやすい中庸なキャラクターとして真中を演じた石田隼さんのバランス感覚と細やかでリアルな演技が好きだった。
それとは別の面でも、すっごく面白かった。作品が意図するところと全く違う感想なのかもしれないけれど、これは単なるシチュエーションコメディってだけじゃなくて、今この瞬間この時代じゃないとあっという間にひどく時代遅れになってしまう(いや既になっているけど)、いずれ誰もシンプルに楽しいと言えなくなるようなギリギリの舞台だと思った。めちゃくちゃに危うくて超ヒリヒリした!
この作品を、なんの疑問も後味の悪さも感じ取らずにただただ楽しかった面白かったと思うことは結構危険な思考だと、わかった上で笑ってしまうことのギリギリの感じ。それこそ一昔前ならだれも何も思わなかったと思う。他人の容姿で笑いを取ることも、戦隊もののレッドがいわゆる男はこうあるべきみたいなステレオタイプな考え方で、それを正しいと当然だと思って行う言動が高圧的であったり暴力的であったりすることも。個々の個性や特性を理解しようとせず、固定観念による偏見が同調圧力によって当たり前に横たわってることも。現代でだってよくある光景ではあるものの、ここまで濃厚にやられたらテレビや大きな劇場では表立って出せないんじゃないか。小劇場だからこそできる作品だなあと思った。
超絶ド偏見だけど、川﨑優作さん演じるガルルンレッドのあの性格と態度の説得力。見てる側もまたルッキズムに囚われてるからこそ感じる説得力でもある。レッドとピンクってラグビー部エースとチアのトップのカップルみたいだと思った。スクールカーストのトップ同士のカップル、ヒエラルキーの頂点にいるからこその、自信と盲目、広い視野の欠如。あの顔面の良さによる説得力じゃんって思った自分自身こそ偏見の主だとわからされてしまう痛々しさを、笑わされた次の瞬間に突き付けられる。
舞台上に溢れかえる偏見の嵐とその滑稽さと、役者の勢いと間の生み出す笑いと、笑ってしまうことでわかってしまう自身の偏見が交錯することで、すごい面白くて笑えるのに後味がまあ見事に最悪になる。偏見なんて表に出さなきゃ誰にもわからないけど、私がここで見て笑ったことは私が知ってるし当然演者にもわかる。
あと何年か何十年かしたら、こういう偏見だらけの作品もしかしたら笑うだけで不謹慎って断罪されて上演できなくなるかもしれないよなあなんて思った。時代考証が求められたりとか?まあ私が生きてる間くらいはそんなことにはならないかもしれないけど。
ミキちゃんが最後に一番いい男をきちんと選ぶ感じ、いいバランスだったと思う。既婚者やほかに相手がいる人を選ばない誠実さもだけど、ヒエラルキーが下の女が勘違いして踊らされてるようでいて、結構ちゃんと見てる強かさが良い。
ある意味で時代に全く合っていなくて、ある意味で時代にめちゃくちゃ添った舞台。この作品自体が再演らしいので、当時はただ普通におもしろい作品だったのだろうけど、今リアルタイムで見たからこそいろんな側面から面白い舞台だったと思う。同世代の友達と一緒に観劇して、このヒリヒリしたギリギリ感をひゅー!地獄〜!!!超ヒリヒリする~とキャッキャ笑いながら帰れたの含めて面白かった!

Nana Produce 真空家族 観劇感想

2018年8月19日、中野ザ・ポケットにて真空家族を観劇。
ものすごくゾッとする、救いのない、面白い話だった。真空家族というタイトルが秀逸だった。
もう一度観ることができたならまた別の解釈もできたかもしれないけど、一度しか見られなかったのであきらめて混乱のまま感想を残しておく。感想というか物語を咀嚼している途中の文章というか。下品な単語も並ぶのでご注意。

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『ナイツ・テイルー騎士物語ー』初日 観劇感想

2018年7月27日、帝国劇場にてナイツテイルの初日公演を観劇。
素晴らしかった!あまりにも面白くて、一幕が終わった瞬間に、時間が過ぎるのが早すぎる!もうすでに何度でも見たい!再演して!!!と叫びながらくるくる回りたくなった。
静かに座っていても、舞台上にも客席にも歓喜と熱狂が渦巻いているのを感じるくらいに心が躍る世界だった。観劇後、ふわふわと多幸感に包まれながら帰ることができる楽しい舞台だった。
以下ネタバレ感想です。

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プリンス・オブ・ストライド THE LIVE STAGE Episode5 観劇感想

2018年6月3日、シアター1010にて舞台プリンス・オブ・ストライド エピソード5を観劇。以下ネタバレ感想です。

観劇した時点ではネタバレ禁止とされていたので、きちんと言語化をせずにいたらボロボロといろんな素晴らしい光景たちが零れ落ちてしまっていて、何とか少しでもこのポンコツの脳みそに留めておくべく今更ですが感想を書いておこうと思います。プリステ1見た後に感想を残さなかったことを割と後悔しているので。
プリステ2・3・4の感想はこちら

inclusionbox.hatenablog.com

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以前のプリステ感想記事、ぽつぽつと読んでくださっている方がいるのでもしかしたら今回もプリステやプリストのファンの方がお読みになるかもしれません。別作品でのたとえ話とかをしているので、ご不快になったらサッと回避してください。

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ウォーキング・スタッフ プロデュース D51-651 観劇感想

2018年6月30日、シアター711にてD51-651を観劇。
戦後史最大のミステリー《下山事件》を題材に描かれた舞台。
没入感がやばい。ずっと緊張感がビリビリしてて腹ン中もやもやして頭の中ぐるぐるして怖かった。小劇場の舞台って勝手なイメージで内輪ネタみたいなノリを愛好できなきゃ見れないのかと思ってたけど、全くそんなことなくて余計なものが一切なくて逆に見やすかった。
和田憲明さんの演出、何かで見たことある気がしていたけど、赤坂レッドシアターでやってた舞台「口紅」だった。劇場の狭さ暗さとストーリーの中に閉じ込められていく息苦しい感覚が口紅のときとおんなじだった。あれもものすごくぐるぐると考えさせられた面白い舞台だった。

誰が殺したのか。誰を殺したのか。そんなことをずっと考えていた。いくら考えたところで上手くまとまらない。戦後っていつまで戦後なんだとか、負けたから負債を抱えて生きていくしかなくて、必死に生きてるだけで誰かが死んでいくこととか。
戦争のツケが底辺まで下りてくる、底辺、機関士の王寺は「自分を」底辺だと言った。機関助士の一戸や車掌の瀬野もまた、言ってしまえば底辺だけれど、王寺の意識の中ではきっと満州帰りで国鉄職員の人員増加の原因のくせに機関士として働いている、そして自分ではない誰かが次々と首を切られていくのを、何で自分じゃないんだと思いながら安堵するそういうことへの罪悪感が「自分を」底辺という理由なんだろう。
ただデカイだけの満州鉄道と比べて日本の機関車の良さを噛みしめるように語った王寺の、夢を見てるような嬉しそうな様子がなんか泣きそうになった。彼にとって美しい希望の象徴みたいな機関車が息苦しい失望に染まっていってしまうのが悲しいし、いずれ淘汰されゆく存在であることも悲しい。
下山事件自体が大きな誰かの手が背中を押したみたいな、轢き潰したみたいな、そんな風に捉えることもできるようだった。ずっとそこにいるD51-651が、ずっとこちらを見ているみたいで怖かった。何も言わない、言えない無機物が生き物みたいで。
機関助手の一戸が車掌の瀬野の首切りに抵抗しようと、弁護士に土下座するシーン、すごく印象的だった。あんなに熱心に他人のために土下座して頼み込むくらいに、機関車に携わる人間の機関車への愛情を信じている人。彼自身とてもまっすぐで一生懸命でとても悪い人間には見えなくて、それでも身近に感じられない人へは簡単に差別的な態度や話し方をするのが本当に生々しく人間らしかった。一戸は景気の悪い時代が生んだ、まっすぐで視野の狭い無知で愚かな青年だと思う。逆に瀬野は知識もあり弁も立つのにそれゆえに時代に殺されてしまう哀れな男だ。
自分の大事な信念を曲げたところで世界や世間どころか自分の周囲という狭い世界ですら何も変わらないし、ほんの少し前に口に出したちいさな希望や約束に似た言葉も、すぐに変質してしまう。わかりやすく誰かのせいでもなく、自分のせいでもなく、どこに恨みを向けたらいいのかもわからない。
ドミノ倒しみたいに次々と、みんなとめどなくすり減っていく。誰の望みも叶わない。機関車のそばに居たかったのは彼らだけじゃなくて、あの役人だって本当はずっと機関車のそばにありたかったんだろうな。首切り名簿にずらりと並ぶ名前、そうやって誰かを殺すたびに自分も死んで幽霊になる。殺されることに恐怖する。でもまた殺す。10万人殺したらやっと50万人が救える。役人の多面的な部分が次々に現れる、そのたびどれが本当なんだろうと思い、どれも本当なんだろうと思った。役人が、自分は死んだ下山総裁の幽霊だと言った。もしかしたら本当に亡霊なのかもしれなかった。下山総裁が生きていればやらなければならなかったことをやって、苦しみを背負って狂っていく。
弁護士の末永は自分をバッテンだらけだと言った。たった一人も救えずに、10万人も救えずに、自分が悪いわけじゃなくても自分の信じることすら貫けなくなっていく。いや、自分の信じるものってなんだ、そんなものあるのかって疑問にさえ思う。理性的なようで混迷していく、人に冷静になるよう諭すけれど自分も果たして冷静なのか。もう何もわからない。希望が見えないから。俯瞰で見たってなにも見通せない世界だ。
警察官の高岡は最初の現場検証や取り調べのとき笑っていた。事件だ、事件が嬉しいんだろう。だって仕事だ。戦争も戦後も何も関係ない自分の生きがい。下山総裁が轢断され、当事者の3人を当事者なんだから知らぬ存ぜぬは通用しない、人殺しだと何とも楽しそうに恫喝する。その時だけだった、生き生きとしていたのは。後はもう、逆に役人に利用され、事件を捜査することも困難になり、最後には恫喝したはずだった当事者たちに利用される側になりかわる。
そこにいる誰も強くなくて苦しい。何かに強かったらそのぶん別の何かに弱かったり、強かったはずの相手にも立場が転回して弱くなり、でもきっとその上にさらに反則技みたいな重圧の手がのしかかっていて、誰もそれを振り払えなくて、横にいる誰かに強くて弱い人間を殴ったり殺したりしながら自分を曲げながら生きてる。
みんなバッテンがついて汚れて、口をつぐんで、罪を飲み込んで生きる。真実が捏造された時に、すでに遠く隠されていた本当が嘘にまみれて余計に見えなくなって手が届かないところまで行ってしまう。本当に、誰が殺したんだろう。誰を殺したんだろう。誰もが被害者で加害者で失望の中をくたくたに生きて、誰かに殺されるであろう日を待っているのがこわかった。

暁の帝 壬申の乱編 観劇感想

2018年7月1日、池袋シアターグリーンにて暁の帝を観劇。

以前同じ作演出の方の舞台を観劇した時、とても面白かったので今回も面白いといいなと期待して見に行ったが、残念ながら今回は期待した内容ではなかった。
作品がおもしろい面白くないっていうのは完全に主観なので、私があまり楽しめなかったのと同じように楽しめた方がたくさんいらっしゃると思うので、もしその方がこれを見かけたのならそっとスルーして面白かった感想をぜひ発信して欲しい。

観劇後、なんで楽しめなかったのかを考えた。舞台を見ながら思考が散乱するのを感じていて、ああこの感覚やだなあと思った。目の前の舞台を見て、そのことについて思考がぐるぐると駆け巡る感覚ってとても楽しい。それとは逆の、散らばっていく思考をなんとか舞台上に引き戻して、束ね直してっていう無駄な作業が入るのが楽しくなかった要因だ。本当にこれは主観でしかない。それでもロープを使った独特の演出は好きだった。

冒頭で説明が入るが、この物語自体、鸕野讃良皇女の記させた史実だけでなく妄想込みの物語だという設定だった。それが恋愛脳まっしぐらな内容で、支配体制の交代劇を見るつもりでいたのに出鼻くじかれた。作演出の方がレジームチェンジを描くって書いてたから、頭にはてなが浮かびまくってしまった。私の想像力では何を描きたかったのかきちんと受け取れなかった。

劇の途中、鸕野讃良皇女が引きこもった時に稗田阿礼大海人皇子に歌って踊るよう助言した。春過ぎて夏来にけらし白妙の、どんちゃん騒ぎでそう歌いだして、ああこれは本当に史実とは全く無関係な鸕野讃良皇女の妄想なんだって思った。彼女自身が天皇になったあとの。今作では壬申の乱に勝利し、太陽の王として燦然と輝く夫。それを失い、息子を天皇に押し上げたがやはり死んで、そうやって周囲に愛する人がなくなっていった辛い人生の中で自分を慰めるための物語だったのかもしれない。だから、あなたはそこにいますかと問いかけていたのかもしれない。

終始思考を舞台上に戻しては離れてという感じだったが、それでも私は森田桐矢くんが演じた大友皇子に揺さぶられてしまった。親である中大兄皇子からの悲しい呪いの連鎖で、愛を十分に受け取ることなく死んでいく哀れな男の演技とても良かったと思う。
奪うことでしか愛を乞うこともできなかった父と同じ道を歩んでしまう悲しさ。愛しても愛しても愛されない彼が最後に少しだけ報われたように見えたのはよかったなあ。自分を利用してのし上がる母に打たれて、打ち返そうと思いはしてもその手を上げることができない大友皇子と、大海人皇子を殺すための手の合図を結局最後までできずにその手で大海人皇子の手を握った中大兄皇子、本当に悲しいくらい似たもの親子だった。
中大兄皇子が死ぬ間際、大友皇子に対して話してるのに大海人と呼びかけた時にはすごい悔しくて悲しくて泣いた。親にも兄弟にも親戚にもだれにも守ってもらえず、自決するしかなかったのは病死した父より悲惨な最期だった。